小野伸二とはどんな選手?
小野伸二 44才 北海道コンサドーレ札幌所属 ポジションMF
静岡が生んだ天才選手で、その才能は日本だけでなく世界も認めているほどだ。
伸二はJリーグの浦和レッズからキャリアをスタートすると、そこから順調にステップアップしていく。
最も輝いたオランダのフェイエノールト時代を中心に小野伸二の功績を紹介していこうと思う。
プロになった年にワールドカップ出場
1998年のデビューした年には、いきなりJリーグベストイレブン、新人王を受賞。
またこの同じ年に開催されたフランスワールドカップの日本代表メンバーに当時小野は18才であったが、飛び級で選出。
グループリーグ第3戦のジャマイカ戦でワールドカップ初出場を果たした。
小野が世界で知られるようになったフェイエノールト時代
2001年浦和レッズからオランダの名門フェイエノールトに移籍する。
最近では元日本代表の宮市亮が所属していたことでも有名だ。
伸二は移籍初年度でビッグタイトルを手にすることになる。
現在のUFFAヨーロッパリーグの前身にあたるUFFAカップで優勝を成し遂げたのだ。
この頃の小野伸二はまさしく天才過ぎた選手といっても過言ではない。
もし怪我さえなければこの頃の小野伸二であればマドリーでも通用すると
フェイエノールトの元関係者はいうほどだった。
なお伸二はボランチとして決勝をスタメンで出場している。
またこのシーズンでの活躍が認められ、日韓ワールドカップの日本代表メンバーに選出。ベスト16に大きく貢献した。
フェイエノールト時代の小野伸二は衝撃だった。
あれから2022年の現在までUFFAのCLとELをオランダリーグのチームが制覇してはいない。
最後にオランダリーグで欧州のチャンピオンになったのが小野のいた時代のフェイエノールトだった。
フェイエノールトの監督ベルト・ファンマルバイクとデンマーク代表トマソンも天才小野伸二を絶賛
2001年7月にフェイエノールトに移籍した小野伸二がロッカールームに訪れたときのことを当時の監督
ベルト・ファンマルバイクはこう語る。
「白いスーツにネクタイを締めて、シンジはまるでウェイターのようだった」と。
また小野伸二がビッグクラブに移籍できなかった理由についてはこう語る。
「シンジがヨーロッパのトップ中のトップクラブにステップアップできなかったことを今でも不思議に思う。シンジがヨーロッパのトップにたどり着けなかったのは、その優しい性格が災いしたのかもしれない。シンジは日本代表の中心選手として、招集にNOと言えなかった。」
もし日本代表の試合を数試合だけ辞退してくれていたら、ビッグクラブに移籍できていたと証言する。
デンマーク代表としてプレーし後にミランへと移籍することになるトマソンも小野のチームメイトだった。
「彼には仲間を走らせ。チャンスを生み出すの能力があった。監督だったら誰しもシンジのような選手が欲しいと願うはず」
フェイエノールト時代に小野伸二から何本もスルーパスを受けた男も日本の天才を褒めちぎる。
2002年のUFFAカップ決勝ドルトムント戦、3−2でフェイエノールトが勝利したが、その3点目は、
小野のスルーパスを受けたトマソンのゴールだった。
トマソンはフェイエノールト時代にリーグ戦75得点、デンマーク代表では52得点し、ミランではチャンピオンズリーグ優勝を経験している。
小野の在籍していたフェイエノールトとライバル関係にあるPSVには後にバルセロナやバイエルンで名声を高めた
主将ファンボメルがいた。
彼も小野に魅了された一人である。
「オノとは何度もピッチ上で戦った。彼は最高のチームプレーヤーであり、テクニックのクオリティーが本当に高い選手だった。彼と交換したユニフォームが実家にあるはずなんだ。今度帰ったら探してみるよ」
小野伸二のフェイエノールトでの活躍はこうした名監督や名選手が語り継いでいることからもわかるようにレジェンド級なのは間違いない。
マンUでやアーセナルで活躍したオランダ代表のロビン・ファン・ペルシーも伸二を絶賛
フェイエノールトでは112試合で19ゴールをマーク。
この頃のフェイエノールトにはオランダ代表のファン・ペルシーやカイトなどが在籍しており、非常に強かった時代だった。
ファン・ペルシーはこの頃の小野伸二に対してこう賞賛している。
フェイエノールト時代にV・ペルシ-は、「オノは天才。オランダ代表にも彼より上手い選手はいなかった」と日本から来たテクニシャンを絶賛していた。
小野伸二、ファン・ペルシと再会!フェイエ時代に「オノは天才。オランダ代表にも彼より上手い選手はいなかった」と絶賛【サッカー】小野伸二とマンUのV・ペルシーが再会・・・フェイエ時代に「オノは天才。オランダ代表にも彼より上手い選手はいなかった」と絶賛
シドニーワンダラーズでその天才ぶりをまたも世界に披露
浦和レッズ、ボーフム、清水エスパルス時代
フェイエノールトから2006年に浦和レッズに復帰すると、その年のチームの天皇杯優勝に貢献。
2008年にドイツのボーフムに移籍し、再び欧州の地に戻ってきたものの満足のいく活躍ができなかった。
2010年に清水エスパルスに入団。しかし体力の衰えからか先発できない試合が多くなり、若手にポジションを取られ出場機会が年々減少。3年弱チームには在籍していた。
オーストラリアのシドニー・ワンダラーズへ
小野は2012年オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズに移籍する。
このとき同じAリーグのシドニーFCにはユベントスやイタリア代表として活躍したアレッサンドロ・デルピエロが在籍していた。
伸二は1年目で8ゴールをマークし、その年のレギュラーシーズン優勝に貢献した。
フェイエノールトに上田綺世が2023年に移籍。先輩小野伸二に続けるか
2023年ベルギーのセルクル・ブルージュから小野伸二がいたフェイエノールトに移籍した
日本代表の上田綺世。
小野伸二とはポジションが異なり、彼はチームメイトからパスをもらう側だが、
日本人選手としてフェイエノールトの歴史に名を刻むことができるか楽しみである。
先輩小野伸二と比較されてしまうこともあるだろうが、オランダリーグを席巻するほどの活躍をみせ、
将来的にはビッグクラブへと移籍してほしいものだ。
まとめ
歴代の日本代表と比べても小野伸二ほど「天才」という言葉が似合っていた選手はいないように思えます。
現在、引いた守りを相手に敷かれるとなかなか崩せない日本代表。
今の日本代表には伸二のようなファンタスティックな選手が必要かもしれません。
2023年9月に小野伸二選手は現役引退を発表。天才選手の長いサッカーの旅は終わりを告げました。
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