2024年も多くの選手が引退する中、日本代表をキャプテンとして支えてきた長谷部もついに引退となった。
所属するドイツのブンデスリーガが開幕する前は契約延長を果たし、全く引退という気配はなかったが、引退を決断。
40歳を迎え、長谷部のプレー時間は激減していたのはたしかであり、フランクフルトとは指導者として将来の契約もあったことから、引退という決断は正しかったと思う。
40歳という年齢でブンデスリーガのトップレベルでプレーしていた長谷部の完璧すぎたドイツキャリアを簡単に振り返っていく。
ドイツキャリア1:長谷部誠とヴォルフスブルクそしてマガト監督の出会い
長谷部誠をどこから語るべきか考えたとき、やはりブンデスリーガファンの私にとって、どうでもよくはないが、浦和時代からではなく、
最初にドイツ挑戦となったヴォルフスブルク時代だろう。
フォルクスワーゲンの本社と工場があるヴォルフスブルク。当然クラブチームのメインスポンサーもフォルクスワーゲンである。車好きな方はユニフォームをみてほしい。ロゴがあるので。
ヴォルフスブルクに移籍したのは2008年。まだ日本人が海外で活躍できていない時代だった、そういう意味では長谷部はそのパイオニアだったかもしれない。
赤から緑のユニフォームに変わった長谷部は、試合を重ねるごとにドイツの血が混じっていき、鬼軍曹マガト監督の信頼を獲得。
優勝した2008-2009シーズンは完全なレギュラーとして定着していた。
ちなみに2024シーズンに無敗優勝したレバークーゼンと同じく、ヴォルフスブルクはこのときブンデスリーガ初優勝をしている。
まさに黄金時代を築いた長谷部。ちなみに同じ時期に入団した大久保はマガト監督のラブコールに応え入るも、ジェコとグラフィッチの牙城を崩せず、レギュラー定着とはならなかった。
ドイツキャリア2:ブラジルワールドカップを見据えニュルンベルク移籍
順調にヴォルフスブルクでキャリアを築いていった長谷部だが、2012-2013シーズンはプレミアリーグ移籍を志願したことにより、開幕前から起用されなくなってしまう。
マガト監督が成績不振により、解任されてからはレギュラーに返り咲いた。
しかし、シーズン終了後にまた移籍を志願。当時のへッキング監督は右サイドバックの1番手として長谷部を考えていると告げていたが、
当時の年齢が30ということもあり最後かもしれないワールドカップとなるであろう
ブラジルワールドカップでのボランチ出場を考え、自分をボランチで起用してくれるクラブへと移籍する。
それがニュルンベルクだった。
ドイツキャリア3:競争力が劣るニュルンベルクへ移籍。降格からのフランクフルト移籍
長谷部はブンデスリーガのインタビューでニュルンベルクは明らかにヴォルフスブルクのほうが競争力が高かったと語っている。
毎シーズン強力な選手を取れるヴォルフスブルクとは違い、ニュルンベルクはお金で選手を取れるような経済力はなかった。
ニュルンベルクの移籍については、「ニュルンベルクに行ったからには自分が中心としてやらなきゃいけない、その期待に強く応えたいと思っていたけど結果的に降格となってしまった、今でも自分の中で引っ掛かりがある。」
環境的にはレベルを落とした長谷部だが、ニュルンベルクではボランチとして勝負することができた。
クラブからも長谷部はボランチとして期待されてはいたが、自身の怪我もあり実力を出せず。
それに比例するようにニュルンベルクは成績を落とし13-14シーズンに17位で2部へと降格。
長谷部は残留せずに、フリーでフランクフルトへと移籍した。
この移籍のことを2022年のインタビューで振り返った長谷部は
「13-14シーズンに移籍をしてその1年で降格をしてしまって、半シーズンはケガで棒に振ってニュルンベルクの歴史の中でも2番目に高い移籍金で僕を獲得してくれた中で、1年で降格させてしまったという経緯がある。ニュルンベルクに行ったからには自分が中心としてやらなきゃいけない、その期待に強く応えたいと思っていたけど結果的に降格となってしまった、今でも自分の中で引っ掛かりがある。」
と語っている。
ニュルンベルクの移籍は失敗だったかと言えばそうではなく、
長谷部本人もヴォルフスブルクからリスクを冒して移籍しなければ
ブンデスリーガでこれだけ長くでプレーできていなかったと言っていることから1つのクラブに留まることは見方を変えればリスクとなるということか。
ドイツキャリア4:フランクフルトとニュルンベルクの2015-2016プレーオフ入れ替え戦
フランクフルトでのキャリアを振り返る中で長谷部が印象に残っている試合がある。
それが古巣ニュルンベルクとの2025-2016プレーオフである。
「自分が落としたチームと自分がプレーするフランクフルトが1部2部の入れ替え戦に臨むということで個人としては一番やりたくない対戦相手、自分のキャリアの中でもあのような感覚は味わうことができない試合」
「高い金額を払ってくれて移籍したのに移籍金ゼロで出ていってしまった、フランクフルトが勝って残留が決まっても自分の中では喜べない、すごく不思議な感情」
と語っており、特別な感情をこの試合に抱いていたようだ。
ドイツキャリア5:フランクフルトでのコバチ監督との出会い
長谷部にとってのターニングポイントとなったのはフランクフルトでのコバチ監督の出会いである。
コバチ監督はクロアチア代表として2002、2006ワールドカップに出場したこともある選手キャリアを持つ。
長谷部をボランチからリベロへとコンバートさせ、守備はもちろん、後方からのゲームメイクなどサッカー選手として数段レベルアップさせた。
17-18シーズンにはバイエルンを破りポカール優勝、18-19シーズンにはELでベスト4進出を果たす。
そして長谷部もこのシーズンにブンデスリーガベストイレブンに選出され、リベロとして完全に覚醒した。
ニコ・コバチ監督について長谷部は
「マガトさんの次くらいに厳しい監督で、僕としてのサッカー選手としてのキャリアを長く伸ばしてくれたのは第一に思い浮かぶのはニコ」と語るくらいコバチ監督との出会いは彼の人生を変えてしまった。
最低5年は自分のキャリアを伸ばしてくれたと長谷部は言っていた。
当時リベロをやらされた長谷部は屈強なフィジカルが強いFWがいるブンデスリーガで180cmくらいしかない自分が最終ラインができるか不安だったと語っている。
またリベロをやったことでボランチでプレーした際、自分がもっと良くなっている感覚になったと長谷部は言っており、コンバートによって新たな景色を見ることが可能になった。
たしかに日本代表において2018年のワールドカップまでボランチ長谷部の代わりがいなかった理由がこれでわかる。
実際、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチ、西野と歴代の日本代表監督は長谷部を重用していた。
長谷部以上の経験を重ねている代表選手は当時いなかったからだ。
そして38歳の2022年にはフランクフルトがEL優勝を果たしクラブに42年ぶり2度目の欧州トロフィーをもたらした。
長谷部はヴォルフスブルクでブンデスリーガ優勝、フランクフルトでポカール、ELを制覇しドイツで数多くのタイトルを獲得した日本人選手となった。
またブンデスリーガは毎シーズン活きのいい若手選手が移籍してくるリーグでもあり、年齢を重ねれば重ねるほど出場機会が減少していくリーグだ。しかも若手監督も多いためなおさらそれに拍車をかける。
おそらくだが、ドイツ人選手でもない日本人がここまで成功する事例は今後も生まれることはないだろうと考える。
永遠にではないが、なん10年後かに一度のタイミングだろう。
40歳まで現役でブンデスリーガでプレーしたことから長谷部誠はドイツでは鉄人レジェンド選手として後世に語り継がれていくと感じる。
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