最新移籍情報はこちら

【怪我しては復帰】怪我が多くなければ宮市亮は三笘薫以上の選手になれた?

コラムまとめ
この記事は約4分で読めます。

現在行われているACL2023。宮市亮率いる横浜F・マリノスは激闘の準決勝を勝ち進み、5/11・26に決勝を行う。

マリノスのサッカーは、攻撃への展開が非常に早い。

どんな球にも食らいつき、シュートに結び付けるのが持ち味だ。

 

「宮市亮」は、抜群のドリブル力とスピード力がある。

あのしなやかさと2~3人抜いてしまう鮮やかさは現日本代表の「三苫薫」を彷彿とさせる。

では、日本代表において「宮市亮」はなぜ「三苫薫」になれなかったのか?

これから解説していく。

こちらの記事もおすすめ

【移籍候補は2クラブ】2024夏日本代表三笘薫の移籍先はプレミアリーグか?
日本代表の快速アタッカー三笘薫。彼はすでに世界に名を知られており、 多くのビッグクラブが2024夏移籍市場で獲得に動いていると噂されている。 中でも有力なのが、スペインのバルセロナと ペップグアルディオラ率いるイングランドのマンCことマンチェスター・シティである

 

EA SPORTS FC24絶賛発売中!

宮市の壮絶な怪我歴 2022年の日本代表戦で靭帯断裂も不屈の精神でマリノスで復帰

宮市といえば一番に出てくる検索ワードが「怪我」である。

以下に宮市のこれまでの怪我歴をまとめてみる。

2012年10月 日本代表デビュー
2012年11月 右足首靱帯損傷
2013年3月 右足首靱帯損傷(手術)
2014年4月 左ハムストリング損傷
2015年7月 左膝前十字靱帯断裂(手術)
2017年6月 右膝前十字靱帯断裂(手術)
2018年4月 左膝前十字靱帯損傷
2020年6月 内転筋損傷
2022年7月 右膝前十字靭帯断裂(手術)

これほど大怪我・手術を繰り返している選手は、他に見たことがない。

特に、2022年7月の大怪我は、記憶に新しい。E-1選手権で、

10年振りの代表に復帰で、彼の出場に会場が沸いた。

その直後、また靭帯の怪我・・・。見ているマリノスサポーターは特に胸が痛かっただろう。

結局久しぶりに復帰したこの代表戦の怪我により、以後代表に呼ばれることはなくなった。

若いときから代表に呼ばれていた宮市だがワールドカップ出場歴はない。

だがこの大怪我で現役引退の噂もあったが、宮市は不屈の精神でマリノスで戦列復帰を果たす。

 

2012年プレミアリーグボルトン時代にはチェルシーDF相手にサイドをぶち抜く

 

チェルシー戦:圧倒的な突破力でイバノビッチとケイヒルを翻弄

2012年2月5日に行われたチェルシー戦。プレミアリーグデビューとなった宮市は、

左サイドで躍動。

圧倒的なスピードでチェルシー守備陣を翻弄し、幾度となくチャンスを作り出した。

中でも、後半14分に

当時のチェルシーDFのブラニスラフ・イバノビッチとガリー・ケイヒルを一気にぶち抜いたシーンは、

多くのファンの記憶に残っている。

マンC戦:各メディアが絶賛「ボルトンで最も危険な存在」

2012年2月12日のマンC戦でも、宮市は高いパフォーマンスを披露。

攻守にわたって精力的な動きを見せ、チームに貢献した。

試合後、各メディアは宮市を絶賛。

「ボルトンで最も危険な存在だった」と評するほど、

宮市のイングランドでの価値は上がっていたと思う。

ちなみにボルトンは宮市が所属していた2011-2012シーズン以降、プレミアリーグから遠ざかり、

現在は3部リーグのリーグ1に所属している。

 

怪我が多くなければ現日本代表エース三苫薫になれたのか?

2012年のコンディションを維持したまま

大きな怪我を繰り返ししなければ、トッテナムの韓国代表FWソン・フンミンのような

エリートコースを歩んでいただろうではないかと妄想してしまう。

ソン・フンミンも宮市と同じように10代で韓国からドイツへと旅立っている。

ハンブルガーSV→レバークーゼン→トッテナムの順にステップアップした。

年齢も宮市と同じ31歳だ。

宮市の話に戻ると18歳でオランダのフェイエノールト

(かつては小野伸二も在籍、現在は上田綺世が所属している)でスタメンに抜擢され、

その後もプレミアリーグでプレーという華々しいスタートだったサッカー人生。

こちらの記事もおすすめ

元日本代表の【天才すぎたMF】小野伸二のフェイエノールト時代が衝撃すぎた
小野伸二とはどんな選手? 小野伸二 44才 北海道コンサドーレ札幌所属 ポジションMF 静岡が生んだ天才選手で、その才能は日本だけでなく世界も認めているほどだ。 伸二はJリーグの浦和レッズからキャリアをスタートすると、そこから順調にステップ...

これができる日本人は当時宮市亮しかいなかった。

繰り返される怪我がなければ、三苫薫に匹敵する左ウィングに育ち

今も代表で活躍していただろう。

いや怪我がなければ、宮市亮が日本代表歴代1位の左ウイングになっていたに違いない。

カタールワールドカップ期間中は三苫の1ミリがバズったが、

宮市の1ミリになっていた可能性もある。

しかし、サッカー人生に怪我は付き物。

特にプレミアリーグは過密日程でハードな試合を繰り返すため、この大怪我は彼の宿命だったのかもしれない。

横浜F・マリノスでの活躍と、ACLでの優勝を心から応援する。

コメント

タイトルとURLをコピーしました