【怪我しては復帰】怪我が多くなければ宮市亮は三笘薫以上の選手になれた?

コラムまとめ
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現在行われているACL2023。宮市亮率いる横浜F・マリノスは激闘の準決勝を勝ち進み、5/11・26に決勝を行う。

マリノスのサッカーは、攻撃への展開が非常に早い。

どんな球にも食らいつき、シュートに結び付けるのが持ち味だ。

 

「宮市亮」は、抜群のドリブル力とスピード力がある。

あのしなやかさと2~3人抜いてしまう鮮やかさは現日本代表の「三苫薫」を彷彿とさせる。

では、日本代表において「宮市亮」はなぜ「三苫薫」になれなかったのか?

これから解説していく。

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宮市の壮絶な怪我歴 2022年の日本代表戦で靭帯断裂も不屈の精神でマリノスで復帰

宮市といえば一番に出てくる検索ワードが「怪我」である。

以下に宮市のこれまでの怪我歴をまとめてみる。

2012年10月 日本代表デビュー
2012年11月 右足首靱帯損傷
2013年3月 右足首靱帯損傷(手術)
2014年4月 左ハムストリング損傷
2015年7月 左膝前十字靱帯断裂(手術)
2017年6月 右膝前十字靱帯断裂(手術)
2018年4月 左膝前十字靱帯損傷
2020年6月 内転筋損傷
2022年7月 右膝前十字靭帯断裂(手術)

これほど大怪我・手術を繰り返している選手は、他に見たことがない。

特に、2022年7月の大怪我は、記憶に新しい。E-1選手権で、

10年振りの代表に復帰で、彼の出場に会場が沸いた。

その直後、また靭帯の怪我・・・。見ているマリノスサポーターは特に胸が痛かっただろう。

結局久しぶりに復帰したこの代表戦の怪我により、以後代表に呼ばれることはなくなった。

若いときから代表に呼ばれていた宮市だがワールドカップ出場歴はない。

だがこの大怪我で現役引退の噂もあったが、宮市は不屈の精神でマリノスで戦列復帰を果たす。

 

2012年プレミアリーグボルトン時代にはチェルシーDF相手にサイドをぶち抜く

 

チェルシー戦:圧倒的な突破力でイバノビッチとケイヒルを翻弄

2012年2月5日に行われたチェルシー戦。プレミアリーグデビューとなった宮市は、

左サイドで躍動。

圧倒的なスピードでチェルシー守備陣を翻弄し、幾度となくチャンスを作り出した。

中でも、後半14分に

当時のチェルシーDFのブラニスラフ・イバノビッチとガリー・ケイヒルを一気にぶち抜いたシーンは、

多くのファンの記憶に残っている。

マンC戦:各メディアが絶賛「ボルトンで最も危険な存在」

2012年2月12日のマンC戦でも、宮市は高いパフォーマンスを披露。

攻守にわたって精力的な動きを見せ、チームに貢献した。

試合後、各メディアは宮市を絶賛。

「ボルトンで最も危険な存在だった」と評するほど、

宮市のイングランドでの価値は上がっていたと思う。

ちなみにボルトンは宮市が所属していた2011-2012シーズン以降、プレミアリーグから遠ざかり、

現在は3部リーグのリーグ1に所属している。

 

怪我が多くなければ現日本代表エース三苫薫になれたのか?

2012年のコンディションを維持したまま

大きな怪我を繰り返ししなければ、トッテナムの韓国代表FWソン・フンミンのような

エリートコースを歩んでいただろうではないかと妄想してしまう。

ソン・フンミンも宮市と同じように10代で韓国からドイツへと旅立っている。

ハンブルガーSV→レバークーゼン→トッテナムの順にステップアップした。

年齢も宮市と同じ31歳だ。

宮市の話に戻ると18歳でオランダのフェイエノールト

(かつては小野伸二も在籍、現在は上田綺世が所属している)でスタメンに抜擢され、

その後もプレミアリーグでプレーという華々しいスタートだったサッカー人生。

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これができる日本人は当時宮市亮しかいなかった。

繰り返される怪我がなければ、三苫薫に匹敵する左ウィングに育ち

今も代表で活躍していただろう。

いや怪我がなければ、宮市亮が日本代表歴代1位の左ウイングになっていたに違いない。

カタールワールドカップ期間中は三苫の1ミリがバズったが、

宮市の1ミリになっていた可能性もある。

しかし、サッカー人生に怪我は付き物。

特にプレミアリーグは過密日程でハードな試合を繰り返すため、この大怪我は彼の宿命だったのかもしれない。

横浜F・マリノスでの活躍と、ACLでの優勝を心から応援する。

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