2022年シーズンのジュビロは伊藤監督解任渋谷監督に代わるも最下位のまま
先日8月13日に行われたJリーグジュビロ磐田対浦和レッズ戦。
この日のジュビロは守備が崩壊し、
気がつけば0-6の大敗。
点を取れないどころか、失点も大量と
積極補強をしてきた浦和レッズに対し為す術もなくやられてしまった。
この試合をきっかけにフロントが動き、
ついに伊藤監督を解任。
ヘッドコーチであった渋谷洋樹を監督へと昇格させた。
降格まで待ったなしの
新生ジュビロ磐田の最初の対戦相手は名古屋グランパス。
勝利が絶対条件の中、
ジュビロはまたしても無得点のまま、名古屋のマテウスに豪快なゴラッソをくらい
1-0で敗戦。
運がなかったという見方もできるが、このゴールの手前で完璧に崩されていたので
言い訳はできない。
渋谷監督といえばかつて2016年に大宮アルディージャを率いてJ1でクラブ最高記録の5位に
導いた人として有名。
実績のある名将ではあるが最近の成績はあまり良くなく、
安定感がないためクラブの救世主となれるかは微妙なところ。
現在18位 勝ち点22 得点23 失点43
と最下位でJ1全チームの中で今シーズン降格に最も近い数字となっている。
そんな弱いジュビロ磐田だが最強のクラブの全盛期、黄金時代があったことを伝えたい。
その時代を元日本代表でサッカー解説者の闘莉王が語っていたので紹介していく。
闘莉王と福西崇史が対談。2001年ジュビロN-BOX(エヌボックス)最強時代を語る
人気Youtube番組闘莉王TVで元日本代表でジュビロ磐田のレジェンド
福西崇史と闘莉王が対談。
かつての2000年代初頭の最強だったジュビロ磐田を語っている。
ジュビロは最初から強かったイメージだが
福西によると95年から2001年の最強時代まで約6年かかっていることから
チームとして完成されるまで時間がかかったようだ。
2000年前半のジュビロ磐田はまさに全盛期で敵なし。
また人をあえて固定することでチームを熟成させていった。
そして伝説のN-BOX(エヌボックス)の誕生である。
今ではもうほとんどみなくなった中央型のフォーメーションで
真ん中に現在松本山雅FCで監督をしている名波浩がおりそこから前後に2人のMFが配置されて
ちょうど5の目のような形になるのが特徴。
この頃のジュビロは相手に対策をされる側で、常に攻める側だったようだ。
今では考えられないが、当時は試合よりもチームの紅白戦のしんどかったと福西も語っている。
ジュビロ磐田の成績1997-2004
1997年 Jリーグ セカンドステージ優勝 サントリーチャンピオンシップ優勝
1998年 Jリーグ ファーストステージ優勝 ヤマザキナビスコカップ優勝
第18回アジアクラブ選手権優勝
1999年 J1 ファーストステージ優勝 第5回アジアスーパーカップ優勝
サントリーチャンピオンシップ優勝
2000年 ゼロックススーパーカップ優勝
2001年 J1ファーストステージ優勝
2002年 J1 ファーストステージ J1セカンドステージ優勝
2003年 天皇杯優勝 ゼロックススーパーカップ優勝
2004年 ゼロックススーパーカップ優勝
ジュビロ磐田の1990年後半から2004年までのタイトルをみてみると
すごい数となる。
とても昨シーズンまでJ2にいたようなチームとは思えないほどの成績。
Nbox(エヌボックス)システムを完成させ
全盛期を迎えたジュビロ磐田の最強時代である。
ゴン中山や名波浩といったスーパースターが何人もいたチームだからこそというのもあるが
やはり聞いていると負ける気がしなかった、相手をなめていたなど
当時の選手たちはかなり強気だったようだ。
メンタル面で今のジュビロとは大きな差があるように思える。
メンバーを固定しすぎると一気にくる世代交代からの衰退
ジュビロ磐田はJリーグで数少ない成功したチームといえよう。
メンバーを固定したことで成熟したシステムを作り上げ
無敵の強さを一定の期間誇った。
それがあのタイトルの数に表れている。
しかし同時にメンバー固定は衰退のリスクとも隣合わせだ。
この頃は選手が海外に引き抜かれることも今ほどになく
新陳代謝が起こりにくかった。
だからこそ世代交代に失敗すると衰退してしまう。
ただ選手を引き抜かれ過ぎると世代交代の余裕が無いまま
東京ヴェルディのようになってしまうこともある。
バランスが大事だということだがこれがクラブを運営していく上では難しい。
それを最強の2000年代前半から降格圏をさまようほど弱いクラブとなってしまった
ジュビロ磐田が証明しているような気がしてならない。
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