- セリエA最強時代『ビック7の一角』黄金期フィオレンティーナを徹底解析
- 歴代レジェンド選手1 GK フランチェスコ・トルド 在籍期間1993~2001 イタリア代表
- 歴代レジェンド選手2 DF アンジェロ・ディ・リービオ 在籍期間1999~2005 イタリア代表
- 歴代レジェンド選手3 DF トーマス・ジェプカ 在籍期間1998~2001 チェコ代表
- 歴代レジェンド選手4 MF マヌエル・ルイコスタ 在籍期間1994~2001 ポルトガル代表
- 歴代レジェンド選手5 MFヨルク・ハインリッヒ 在籍期間1998~2002 ドイツ代表
- 歴代レジェンド選手6 FW プレドラク・ミヤトビッチ 在籍期間1999~2002 旧ユーゴスラビア代表
- 歴代レジェンド選手7 FW ガブリエル・バティストゥータ 在籍期間1991~1999 アルゼンチン代表
- 「フィオレンティーナでプレーした元日本代表」中田英寿も過去に在籍(2004~2005)
- フィオレンティーナクラブ全盛期(黄金期)から衰退低迷そして復活 2025年移籍市場でジェコを獲得
セリエA最強時代『ビック7の一角』黄金期フィオレンティーナを徹底解析
クラブ創設 1926年 / 本拠地 フィレンツェ / ホームスタジアム アルテミオ・フランキ / 収容人数 47495人 /クラブカラー 紫 / セリエA優勝回数 2回
Embed from Getty ImagesセリエA優勝2回、コッパイタリア6回、UEFAカップウィナーズカップ1回のタイトルホルダーでもある古豪フィオレンティーナ。
近年、セリエAでは中位に甘んじているフィオレンティーナだが、その歴史をたどるとスター選手を擁して無類の強さを誇り、優勝争いを演じていた全盛期の時代があったのをご存じだろうか。
現在プレミアリーグではビック6と言われているクラブが存在するが、当時のセリエAはそれを上回るビック7と言われていた時代に、フィオレンティーナも優勝候補の一角として挙げられていたのだ。
当時の黄金期フィオレンティーナのメンバーの実力で、現在のプレミアリーグに参戦したとしても4位以内に食い込みCL出場権を確保出来るといっても過言ではない。
2025年現在のインテルやACミランでもこの当時の全盛期のフィオレンティーナを倒すのは難しいと思われる。
暗黒時代を乗り越えたクラブの歴史
フィオレンティーナのクラブ史をたどると波瀾万丈の一語に尽きる。
1980年にはクラブを買収したオーナーのフラヴィオ・ポンテッロは、1990年にスター選手のロベルト・バッジョをユベントスへと売却したことで大きな批判を浴びオーナーの座を追われた。
Embed from Getty Imagesその後もオーナー企業の経営破綻や、2002年にはクラブは4部リーグ相当でもあるセリエC2に強制降格の憂き目にあい、クラブは消滅に追い込まれ主力選手を売却。
フィオレンティーナ再建に取り組んだクラブの新オーナーには、革靴ブランド企業家が就任しチームを立て直すことに成功。
2002-03シーズンにセリエC2を戦っていたクラブを、2004-05シーズンにはセリエAの舞台へと復帰させている。
黄金期にスクデット獲得はならなかったが、コッパ・イタリア制覇や1999~00シーズンのCLでは、2シーズン前にプレミアリーグとFAカップのダブルを達成したアーセナルをウェンブリーで撃破するなど、ヨーロッパの舞台でも十分に戦えることを証明した。
今回はセリエAで3位の成績を収めた1998-99シーズンと、翌年のチャンピオンズリーグを戦った黄金期の中心メンバーにスポットを当てて、
セリエAが三度の飯より大好きなライターの私が個人的主観で選抜した7人のレジェンドを紹介していく。
加えて過去作のウイニングイレブンことウイイレの能力値も掲載。ライターが数値についての率直な感想を書いている。

2025年8月フィオレンティーナが全日本大学選抜チームと親善試合をして、負けたらしい。。そこまで弱くなってしまったのか。。
歴代レジェンド選手1 GK フランチェスコ・トルド 在籍期間1993~2001 イタリア代表

ウイイレの能力値ディフェンス力96はかなり高い数値ではあるが、当時のトルドの能力からすれば、うなずける数値だろう。
安定度87に関しては90を超えてもいいのではないだろうか。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナ歴代レジェンド選手1人目は、フランチェスコ・トルドである。
トルドのキャリアはイタリアの名門ACミランでスタートを切る。
プロデビュー当時は中々出場機会に恵まれず下部クラブを渡り歩いたのちにフィオレンティーナに移籍し頭角を現す。
当時、ゴールキーパー大国と言われた「カルチョの国」イタリアにおいて、同胞のジャンルイジ・ブッフォンと共に世界最高峰のゴールキーパーと謳われたトルド。
身長196センチと恵まれた体躯に、長い手足でゴールマウスに君臨するトルドの姿は、相手FWが萎縮してしまうほどの存在感だ。
ハイボールの処理能力も的確で、ゴールキーパーとしての資質を全て兼ね備えているといっても過言ではない。
またPKストッパーとしても高い能力を発揮したトルドだが、イタリア代表としてのキャップ数は28試合にとどまる。
前述したジャンルイジ・ブッフォン以外にこの頃のイタリア代表にはジャンルカ・パリウカやアンジェロ・ペルッツィなどワールドクラスのゴールキーパーが多数存在していたことはトルドにとって不運としか言いようがない。
歴代レジェンド選手2 DF アンジェロ・ディ・リービオ 在籍期間1999~2005 イタリア代表

ディリービオのウイイレの能力値はスタミナ89とボディバランス76、メンタリティー74となっているが、ディリービオの持ち味でもある能力としては、当時35歳だったことを考慮してもこの数値は低すぎるように感じられる。
それと比較するとDFとしてサイドを主戦場としているディリービオのシュート力が90というのは謎である。
どの試合のプレーを見てシュート力をこんなに高くしたのか?説明してほしいものだ。
ディリービオのメンタリティーは90を超えてもおかしくないポテンシャルの持ち主ではないだろうか。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナ歴代レジェンド選手2人目は、アンジェロ・ディ・リービオである。
1981-82シーズンにプロデビューを飾りイタリア国内のクラブを渡り歩くことになるが、ディ・リービオが脚光を浴びるようになったのは1993-94シーズンから所属したユベントス時代に遡る。
当時、右サイドの選手を探していたユベントスに移籍すると、すぐさまレギュラーポジションを奪取。
中盤でのプレーだけではなく、サイドバックなど様々なポジションで起用されチーム内で重宝される存在となる。このユベントス時代にはセリエAやチャンピオンズリーグでも優勝を経験する。
1999-00シーズンにフィオレンティーナに加入することになったディ・リービオのプレースタイルは、上背こそ173センチと小柄だが、たぐいまれな運動量で右サイドからのオーバーラップと上下運動を繰り返す。
その献身的なプレースタイルは相手選手からすれば嫌な存在であり、常に警戒されていた選手であることは言うまでもない。
2001-02シーズン、キャプテンとして奮闘するがチームはセリエBに降格し経営破綻を迎えることになる。
セリエC2降格というペナルティーを課せられ多くの主力選手がチームを離脱する中、ディ・リービオは数多くのオファーを断りチームに残留する道を選んだ。
その1年後セリエBに復帰すると、セリエBでプレーした2003-04シーズンのプレーオフを経て最短でセリエAの舞台に舞い戻ることになる。
まさにフィオレンティーナ低迷期を乗り越え再建の立役者でもあるのだ。
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歴代レジェンド選手3 DF トーマス・ジェプカ 在籍期間1998~2001 チェコ代表

チェコという国自体決してサッカー大国ではく、ジェプカ自身もネームバリューはそれほど高くはないかも知れない。
だが当時としては世界最高峰のDFであり、フィオレンティーナの最終ラインを統率した実力者としてウイイレの能力値は全体的に低めの数値ではないだろうか。
特に闘将と言われていた選手のメンタリティーとしては数値71は低すぎるので、当時のコナミスタッフさんは試合を見ずに数値を決めたのではないか?と疑いたくなるくらい雑な扱いをされていると思ってしまった。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナ歴代レジェンド選手3人目は、トーマス・ジェプカである。
ジェプカのプロキャリアのスタートは1990-91シーズンの母国チェコのクラブFCバニーク・オストラヴァからだった。
その後1995年にはチェコの名門スパルタ・プラハへ移籍しステップアップ、1996年にはUEFAカップウィナーズカップでフィオレンティーナと対戦している。
当時アルゼンチン代表のエースでもあるFWバティストゥータを抑え込んだことにより脚光を浴びることになった。
その後、1999年にフィオレンティーナに移籍するとすぐさまレギュラーとして定着し、ディフェンダーの要として3シーズンに渡りプレーしたが、2002年にクラブの財政難によりチームを離れることになる。
センターバックとしてのジェプカのプレースタイルは熱いハートを持ち、最後列から常にチームを鼓舞し気持ちを全面に出すファイターだ。
この当時、世界最高峰のDFとも言われたジェプカはチェコ代表としても国際Aマッチ45試合出場1得点を記録している。
歴代レジェンド選手4 MF マヌエル・ルイコスタ 在籍期間1994~2001 ポルトガル代表

ウイイレの能力値はルイコスタの実力をもってすれば全体的に高い数値ではあるが、フリーキック精度が93というのは高すぎるのではないだろうか?
ルイ・コスタのフリーキッカーとしてのイメージは正直皆無である。
シュート力84、シュートテクニック77となっているがこれは逆に低いと感じる。
実際はフリーキック精度93よりも数値が高いことはたしかだ。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナ歴代レジェンド選手4人目は、ルイ・コスタである。
生粋のファンタジスタでもあるルイコスタのキャリアのスタートは、母国ポルトガルの名門ベンフィカ・リスボンで産声をあげる。
1年目はレンタル移籍で2部リーグでプレーすることになるが、ベンフィカ復帰後すぐにチームの中心選手へと急成長し3年間ベンフィカでプレーした。
迎えた1994-95シーズンに1度はバルセロナ行きが決定したかに思われたが、バルセロナより高額な移籍金を提示したフィオレンティーナへの移籍が決まる。
ルイコスタ本人はバルセロナ行きを望んでいたとも言われているが、この移籍によって当時フィオレンティーナに在籍していたアルゼンチン代表FWバティストゥータと強力な前線を形成。
現代サッカーにおいては、絶滅種と言われている1.5列目のポジションで自由を与えられる司令塔として、フィオレンティーナの背番号10番ルイコスタが誕生する。
ルイコスタのプレースタイルは卓越したテクニックやトリッキーなプレーはもちろん、視野も広く優れたパスセンスも持ち合わせていた正にファンタジスタといって申し分のない選手だろう。
フィオレンティーナの黄金期を支えた司令塔も、2001ー02シーズンにチームの経営状況が悪化したことによりミランに移籍する。
ポルトガル代表としては国際Aマッチ94試合に出場し26ゴールの記録を残した。
歴代レジェンド選手5 MFヨルク・ハインリッヒ 在籍期間1998~2002 ドイツ代表

ウイイレの能力値は全体的に平均値以上の数値ではあるが、ハインリッヒほどの選手であればスタミナ90以外の数値も80台後半から90に達していてもいいのではないだろうか。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナ歴代レジェンド選手5人目は、ヨルク・ハインリッヒである。
1988-99シーズンからプロデビューを飾ったハインリッヒだが、トップカテゴリーでプレーを始めたのが6年後の24歳になってからという経歴の持ち主だ。
現日本代表の堂安律も在籍経験のあるSCフライブルクでトップデビューを飾ると、その後、こちらも元日本代表の香川真司が過去に在籍していたドルトムントへと戦いの場を移す。
2シーズンプレーしたドルトムントでは1995-96シーズンにはブンデスリーガで優勝、その翌年の1996-97シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ優勝の立役者にもなっている。
迎えた1998-99シーズンビッククラブがこぞって獲得を試みるが、当時のブンデスリーガ史上最高額となる20億円の移籍金でフィオレンティーナへ加入。
すぐにスタメンに定着すると中盤の左サイドを主戦場とし、移籍初年度からフィオレンティーナの3位フィニッシュに貢献。
翌年のチャンピオンズリーグでは、グループステージでアーセナルやマンチェスターUからも勝利をもぎとる活躍を見せるが、2000-01シーズンには同クラブの財政難により退団することになる。
歴代レジェンド選手6 FW プレドラク・ミヤトビッチ 在籍期間1999~2002 旧ユーゴスラビア代表

ウイイレの能力値は、シュート力76が余りにも低すぎるのが納得がいかない点である。
ミヤトビッチはバルカンの速射砲の異名をとっていたほどなので、85くらいの数値があってもおかしくはない。
シュートテクニック78に関しても、足の振りが早いキックはGKからすれば反応しづらく、もっと高い数値でもいいのではないだろうか。
ミヤトビッチに関しても当時のコナミスタッフさんは、ゴールシーンを観ないで数値を決めたのかもしれない。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナ歴代レジェンド選手6人目は、プレドラク・ミヤトビッチである。
1987-88シーズン地元クラブでプロデビューを飾りキャリアをスタートしたミヤトビッチ。
その2年後には母国の名門でもあるパルチザン・ベオグラードへと移籍すると才能を開花させる。
1992-93シーズンに同クラブをリーグ優勝に導くと、その活躍が認められ翌年にはスペインリーグのバレンシアへと戦いの場を移す。
しかし、タイトル獲得に貪欲なミヤトビッチは自らレアルマドリードへの移籍を希望する。
レアルマドリードに移籍後はリーグ優勝やUEFAチャンピオンズリーグでも優勝に貢献するが、監督のファーストチョイスは当時のスペイン代表のラウールとモリエンテスだった。
出場機会を求めミヤトビッチがイタリアの地に渡ったのが1999-00シーズンである。
「バルカンの速射砲」の異名をとるミヤトビッチのプレースタイルは足元の技術力に優れ、スピードに乗ったドリブルが持ち味だ。
足の振りが速い強烈なシュートはゴールキーパーからすると脅威であった。
イタリアの地では怪我の影響もありコンスタントに試合に出場出来なかったのが残念でならない。
旧ユーゴスラビア代表としては66試合25ゴールの記録を残し、1998年フランスワールドカップにも出場しユーゴスラビア代表をベスト16に導いている。
歴代レジェンド選手7 FW ガブリエル・バティストゥータ 在籍期間1991~1999 アルゼンチン代表

ウイイレの能力値はバティストゥータは全体的にかなり適正値に近いように思われる。
オフェンス95、シュート力95、シュートテクニック97の数値はかなり高いと思われるかもしれないが、当時の彼を知る人なら納得の数値だろう。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナ歴代レジェンド選手7人目は、ガブリエル・バティストゥータである。
「ガブリエル・オマール・バティストゥータ」フィオレンティーナのシンボルでもあるこのレジェンド抜きには、クラブの黄金期は語れないだろう。
セリエA外国人最多通算得点記録保持者。
セリエA開幕11試合連続ゴールの記録保持者でありながら、アルゼンチン代表としても歴代2位の得点記録保持者でもある。
「バティゴール」の愛称で親しまれ、フィレンツェの英雄として9シーズンに渡りフィオレンティーナに在籍し通算269試合出場167ゴールという記録を叩き出した。
バティストゥータのフィオレンティーナに対する有名なエピソードとして、1992-93シーズンにフィオレンティーナはセリエBに降格するが、バティストゥータはそのままフィオレンティーナに留まりクラブへの愛情と忠誠心を示している。
フィオレンティーナ在籍時にスクデット獲得には至らなかったが、ポルトガル代表のルイコスタと形成された前線はセリエAでも屈指の攻撃力を誇り1994-95シーズンには得点王に輝いた。
その後のシーズンでも常に得点王争いを演じている。
2000-01シーズンにはASローマに移籍し20ゴールを叩き出す活躍を見せ、ローマにとっては18年ぶり、自身にとっても初のスクデット獲得を経験した。
アルゼンチン代表としてもワールドカップに3大会出場し、フランスW杯のグループステージで日本代表と対戦した時もゴールを挙げて同国の勝利に貢献。
国際Aマッチ 78試合出場55得点の記録を残す。
「フィオレンティーナでプレーした元日本代表」中田英寿も過去に在籍(2004~2005)


ウイイレの数値はボディバランス87となっており、フィオレンティーナの時代の中田は確かに全盛期のプレースタイルではなかったものの、フィジカルの強さは超が付くほどに一級品だったことを考慮すると、日本人選手にしてはずば抜けた数値だったのは納得である。
Embed from Getty Imagesフィオレンティーナで唯一プレー経験のある日本人として、当時の日本代表MF中田英寿が在籍していた時代があったことをご存知だろうか。
1998年にイタリアに渡った中田はACペルージャに始まりASローマ、ボローニャ、ACパルマとイタリア国内のクラブを渡り歩きフィオレンティーナはイタリアでプレーする最後のクラブとなる。
2004-05シーズン直前にフィオレンティーナへ完全移籍で加入。
背番号は10番を普通につけていたことから中田英寿のイタリアでどれだけ認められていたかがわかるだろう。
しかし、この当時の中田はグロインペイン症候群(足の付け根でもある鼠径部の痛み)を患っていたためトップフォームでのプレーとは程遠く、低調なプレーに終始してしまう。
フィオレンティーナには2004-05シーズンに在籍し、20試合出場0ゴールという結果に終わり、イタリアの地を離れプレミアリーグのボルトン・ワンダラーズへ移籍する。
ちなみに中田英寿はフィオレンティーナのレジェンドの1人であるバティストゥータと親交が深く、YouTube動画で共演をしているので、興味のある方はぜひ観てほしい。
今後、中田の後継者として日本人選手が、フィオレンティーナの紫のユニフォームを身にまといプレーする姿に期待したい。
フィオレンティーナクラブ全盛期(黄金期)から衰退低迷そして復活 2025年移籍市場でジェコを獲得
フィオレンティーナがオーナー企業の経営破綻などにより衰退低迷してしまったことは、当時、大型補強によってチーム強化を図りセリエAの新興勢力として優勝候補に挙げられていたクラブやサポーターにとっては悪夢でしかないだろう。
しかし、クラブの全盛期(黄金期)にはセリエAで優勝争いを演じ、チャンピオンズリーグでも堂々たる戦いぶりを披露してみせたのは紛れもない事実である。
当時の全盛期のフィオレンティーナにはスター選手も数多く在籍し、特にFW陣には実力者が名を連ねていた。
ブラジル代表/エジムンド、ユーゴスラビア代表/ミヤトビッチ、アルゼンチン代表/アベル・バルボに加えイタリア代表のエンリコ・キエーザをチームのシンボルでもあるバティストゥータの相棒として誰をチョイスするか、当時の監督からすれば贅沢な悩みであったであろう。
現在のフィオレンティーナのセリエAでの順位は中位だが、1度消滅したクラブを立て直し、この順位にまで引き上げてきた経営陣の努力には目を見張るものがある。
2021年に新設されたUEFAカンファレンスリーグでは、2年連続でファイナリストに残るなど復活の兆しも見え始めている。
2025ー26シーズン開幕前にもボスニア・ヘルツェゴビナ代表で、セリエAではASローマ、インテルでプレーし、
実績十分の39歳ベテラン選手エディン・ゼコを獲得するなど虎視眈々と上位進出を狙っているのが伺える。
Embed from Getty Imagesかつての隆盛を取り戻し優勝争いを演じる全盛期のフィオレンティーナが戻ってくる日もそう遠くはないはずだ。
今後もフィオレンティーナの動向を注意深く見守っていきながら、イタリアサッカーファンとしてはフィオレンティーナが上位進出し優勝争いを演じてくれるいつかみたいと思っているところである。



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