かつて国内のみならず、欧州の頂点に君臨しヨーロッパを代表するクラブだったが、
近年はCLの舞台からも遠ざかり、凋落ぶりが目に余るイタリアの名門ACミラン。
もはや名門クラブとも呼べないような見てる側も恥ずかしい成績を残してきたミランで、
ミランのユニフォームに袖を通すも、思ったような活躍ができず、ミランにさえも見捨てられた選手を
今回は2000年以降に所属した選手に限定して紹介していくので最後まで見てほしい。
①【DF】オグチ・オニェウ(元アメリカ代表、フィラデルフィア・ユニオン所属)
ベルギーのスタンダール・リエージュで頭角を現したアメリカが誇るフィジカルモンスター。
195cmの長身と強靭な肉体で相手を跳ね返しねじ伏せるような守備でスタンダールの守備の要として君臨。
連覇を置き土産に2009年にミランに加入。
即戦力のCBとして、そしてセリエAでも珍しいアメリカ人の選手としても注目と期待を集める。
当時の私はアレッサンドロ・ネスタや同時期に加入したチアゴ・シウバがいる中で、
フィジカルしか武器の無いオニェウの獲得は全く理解できなかった。
そして蓋を開けてみれば案の定。というよりは予想を超える結果に。
1シーズン目は大怪我を負いシーズンを棒に振り、
2シーズン目は練習中に当時のチームの王様だったズラタン・イブラヒモビッチと
衝突するなど問題行動が目立ち、それが影響してかこのシーズンでも1試合も出場がなかった。
そして2011年、ミランでの公式戦の出場が無いまま、スポルディングへ放出されることに。
もはや何をしに来たのかというレベル。悪い意味での予想をここまで越えてくる選手も珍く、
別の意味で注目の選手だった。
②【DF,MF】ウルビー・エマヌエルソン(元オランダ代表、ユトレヒト所属)
ミランに加入した当初のエマヌエルソンは若くしてアヤックスで成功を収め、
鳴り物入りでミランに入団。大きな期待を寄せられた選手である。
加入初年度はそのユーティリティー性が当時指揮官のアッレグリに重宝され、確実に出場機会を得ていた。
しかしながら、器用貧乏な感が強く、左サイドバックにしては守備に難があり、
中盤の左サイドにしては際立った武器が無かったため、
2シーズン目から徐々に出場機会を減らし、その才能を開花させることなく2014年に契約満了後ローマへの移籍が決定。
そのローマでも出場機会はたったの2試合。エマヌエルソンのセリエA挑戦は完全に失敗に終わった。
31歳となった現在は母国のユトレヒトでプレーしているが、以前セリエAで過ごした時期についてこう語っている。
「すべての若手に同じアドバイスをしている。イタリアには行くな。あそこでプレーするな。フットボールの世界のことで、国のことではない。フットボールは政治的なんだ。常にベストの選手がプレーするわけではない。他のことが重要なんだ」
元オランダ代表DFが若きフットボーラー達に助言 「イタリアには行くな。偽善者で満ち溢れている」
このコメントがどこまで事実かはわからないが、
同リーグではクラレンス・セードルフやウェスレイ・スナイデルなど、
多くのオランダ人選手が活躍してきた。
確かに近年セリエAで活躍するオランダ人選手が少なくなっているのは事実だが、
もはや言い訳にしか聞こえない。
③【FW】アルベルト・ジラルディーノ(元イタリア代表、スペツィア所属)
言わずと知れた2006年ドイツワールドカップのイタリア代表の優勝戦士である。
パルマ時代には中田英寿とともにプレーした経験も持ち、
2004年のアテネオリンピックでイタリア代表として日本代表と対戦したことも。
ジラルディーノが本格的にブレイクしたのはそのパルマ時代の2003-04シーズン。
エリア内で勝負する生粋の点取り屋として覚醒。
そのシーズンの得点王アンドリー・シェフチェンコに次いで2位となる23ゴールを挙げ、
一躍ニュースターとなる。
飛躍を果たした年の翌年も2年連続で23ゴールを記録し、
ルカ・トーニともにイタリアを代表するストライカーの1人となった。
そして2005年にミランへ移籍。
当時の人気銘柄だったジラルディーノの名門への移籍は、大きな話題になるとともに、
ミランの新エースとしての大きな期待を抱かせるものとなった。
加入初年度はパルマ時代を下回るものの、リーグ戦17ゴールを挙げる働きを見せる。
一見FWとしてはまずまずの成績に見えるが、
奪った得点のほとんどが下位チームからという点、
そして大舞台での勝負弱さがミランの新エースとして物足りなさを感じさせた。
特に大舞台での弱さは致命的で、ジラルディーノがミランに
所属した3シーズンの中でチャンピオンズリーグで挙げた得点は
24試合出場でわずか4得点。
結局ミランに所属した3シーズンの内、加入初年度のリーグ戦17ゴール、
公式戦19ゴールを上回ることなく、フィオレンティーナに放出されることに。
ジラルディーノがエースとして君臨する時代を期待したファンも多かっただけに、
その失望も非常に大きなものとなった。
④【FW】フェルナンド・トーレス(元スペイン代表、アトレティコ・マドリー所属)
当たり負けしないフィジカル、優れた加速力と決定力で数多のゴールを陥れてきた
『エル・ニーニョ(神の子)』の異名を持つフェルナンド・トーレス。
日本でも知名度は高く、端正なルックスで女性ファンも非常に多いトーレスだが、
彼にとってもミランにとっても所属したシーズンは忘れたい記憶だろう。
所属した2年間で10試合出場の1ゴール。
2シーズン目はケガでシーズンを棒に振ったこともあるが、
彼の実績からすると「何しに来たの?」と言わざるを得ない。
前所属のチェルシーでは思うような活躍ができてなかったとは言え、
アトレティコ・マドリーとリヴァプール時代にはエースとして君臨し、
8シーズン連続の2桁得点を記録した選手とは思えないほどの醜態を晒した。
そして何のインパクトを残すこともなく、
2014年に古巣アトレティコ・マドリーへの復帰を果たすことになる。
慣れ親しんだ古巣に戻り、調子を取り戻したこともあったが、かつて欧州を席巻したプレーは見る影がない。
ブロンドの髪をなびかせてセリエAで躍動する姿を見れなかったのが残念でならない。
ミラニスタも同じ気持ちだろう。
歓喜と落胆をもたらした問題児、悪童バロテッリも忘れてはならない
サッカー界を代表する問題児として知られるバロテッリだが、ミランには2度所属した。
2012-13シーズンの冬にマンチェスター・シティから
加入したバロテッリは公式戦13試合で12ゴールとチームの救世主となり、
シーズン3位でのフィニッシュに貢献。
クラブとファンに歓喜をもたらす活躍を見せ、瞬く間にミラニスタのヒーローに。
しかしリヴァプール移籍を経て再度加入した
2015-16シーズンは独りよがりのプレーに終始し、
シーズン23試合出場で3ゴールと正に別人だった。
さらにプライベートではスピード違反で免停をくらうなど、踏んだり蹴ったりのシーズンに。
この短期間で歓喜と落胆の双方を提供できるのもさすがバロテッリ。
色んな意味で稀有な選手と言えるだろう。
香川真司の元同僚オーバメヤンは新天地でワールドクラスに成長
その他にも、ミラン退団後に急成長し、瞬く間にワールドクラスの選手に成長したケースも。
代表的な選手としては皆さんご存知のピエール=エメリク・オーバメヤンである。
彼は2008年から2011年までミランのユースチームに所属し、
トップチームでの出場機会をうかがっていただが、結局は1試合も出場のまま放出された。
放出先のサンティティエンヌでは2年連続15ゴール以上を記録し、
ブレイクを果たすと、翌年に2013年にドルトムントへのステップアップを果たす。
ブンデスリーガへ活躍の場を移しても、
オーバメヤンの勢いは衰えるどころか増すばかりで、
2015-16シーズンにはキャリア初の20ゴール越え、
さらに翌年には31ゴールを記録してブンデスリーガ得点王に輝き、
名実ともにワールドクラスの選手となった。
今冬にはアーセナルへの移籍が決定し、プレミアリーグに活躍の場を移すことに。
ミラン所属時からそのポテンシャルは高く評価されていただけに、
今となってだが、放出という選択は悔やんでも悔やみきれないものとなった。
セリエAを代表するクラブがACミランなのが、ユベントスファンにしてみれば恥ずかしい
このように挙げ始めるときりがない。
補強する選手のみならず、下部組織の選手のポテンシャルも見抜けないクラブということがお分かりいただけたのではないか。
昔のミランのイメージがまだ残っている皆さん。これがミランの今の姿である。
セリエAが競争力のないリーグと言われるのも、レベルが落ちたといわれるのもこのミランに一因がある。
チャンピオンズリーグにも長年出場できていないクラブがセリエAを代表する名門クラブと言えるのだろうか。
1人のユベンティーノとして、このクラブと同じように名門クラブと呼ばれるのが恥ずかしくてならない。
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