CLマンチェスターユナイテッド戦でGKエドウィン・ファン・デル・サールが反応できないフリーキックを決め伝説となった中村俊輔
日本サッカー史において、ひとつのプレーが「芸術」と呼ばれる瞬間がある。
その象徴こそ、中村俊輔――47歳。現在は横浜FCでコーチを務めながらも、彼の左足が描いた軌跡は、今なお色褪せることなくファンの記憶に生き続けている。
俊輔の全盛期を知る者なら、彼を語るうえで避けて通れないものがある。
そう、フリーキックだ。
軸足の角度、助走の歩幅、インパクトの瞬間に乗る体重の配分。
それらすべてを“計算ではなく感覚で”操り、まるでキャンバスに筆を走らせるように軌道を描く。
日本で、ここまで芸術的なボールを蹴れた選手は他にいない。断言できる。
スコットランドの名門・セルティックで4年間レギュラーを張り続けたのも、彼の技術が世界基準だったからだ。
その象徴が、今なお語り継がれる伝説――
チャンピオンズリーグでマンチェスター・ユナイテッドの守護神、エドウィン・ファン・デル・サールを沈めたあの一撃。
黄金の左足から放たれたボールは、スピード・落下角度・コース、すべてが完璧。
世界屈指のGKをも“反応さえ許さない”ワールドクラスのゴールだった。
サッカーファンは中村俊輔をこう評す。
「曲線を操るアーティスト。フィールドに絵を描く男」
そして、マンチェスター・ユナイテッド相手に直接FKを決めた日本人は――
2025年の今になっても、まだ俊輔ただ一人である。
中村俊輔のセルティックでのスーパープレイをまとめた動画があったのでシェアしたい。
特にチャンピオンズリーグでマンチェスターユナイテッドのゴールキーパーオランダ代表のファン・デル・サールに放ったフリーキックはワールドクラスだった。
黄金の左足から放たれた一撃は、コース・スピードともに完璧で、元オランダ代表GKエドウィン・ファン・デル・サール氏を嘲笑うかの如くゴールに吸い込まれた。
中村俊輔のフリーキックをサッカーファンはこう表現する「曲線を一つずつ描きながらフィールドを描く真のアーティスト」と。
後にも先にもマンチェスターユナイテッド相手にフリーキックを決めたセルティック所属の日本人は2025年となった今でも中村俊輔しかいない。
以下は過去にセルティックに在籍した伝説的な選手たちである。
ロビー・キーン(FW/セルティック在籍:2010)
わずか半年──その短い時間で、ロビー・キーンは堂々とセルティック・パークの記憶に刻まれた。
トッテナムからのレンタル加入ながら、12ゴールという圧倒的な結果を残し、ゴール前での嗅覚と決定力はまさに“本物”だった。
限られたチャンスを確実に仕留めていく姿は、アイルランドが生んだ名ストライカーの風格そのものだった。
ロイ・キーン(MF/セルティック在籍:2005-2006)
マンチェスター・ユナイテッドで326試合に出場しキャプテンを務めた“闘将”ロイ・キーンは、キャリア晩年にセルティックのユニフォームに袖を通した。
在籍期間こそ短かったが、中盤での存在感、そして勝利への執念は衰えることなく、クラブに確かな重みを残した。ユナイテッドのファンで彼の名を知らぬ者はいないだろう。
スコット・ブラウン(MF/セルティック在籍:2007-2021)
14年──スコット・ブラウンの名前は、セルティックの歴史の中でも特別な響きを持つ。
MFとしての確かな技術に加え、キャプテンとしてチームを牽引したリーダーシップは絶対的。
46ゴール63アシストという数字以上に、泥臭い守備、勝利への献身、そして精神的支柱としての役割が評価され続けている。
今もなお、近代セルティックの象徴的存在である。
フレドリック・ユングベリ(MF/セルティック在籍:2011)
在籍わずか7試合。
しかし、アーセナル黄金期の“インビンシブルズ”の一員であり、アンリらと無敗優勝を成し遂げたその肩書きは、セルティックの地でも確かなオーラを放っていた。
2011年には清水エスパルスでもプレーし、日本のサッカーファンにも強烈な印象を残した技巧派MFである。
ヘンリク・ラーション(FW/セルティック在籍:1997-2004)
ヘンリク・ラーションという名を置き去りにして、セルティックの歴史を語ることはできない。
1997年から2004年までの7年間、スウェーデンが誇るこのストライカーは、クラブの象徴としてピッチに立つたび鮮烈な光を放ち続けた。
イブラヒモビッチが世界的スターへと上り詰める以前、スウェーデンの“絶対的エース”は間違いなくラーションだった。
閃光のように抜ける動き、ゴール前での冷静沈着なフィニッシュ、そしてひと振りで試合の空気を変えてしまう一撃。どれを取っても、レジェンドの称号は当然の帰結と言える。
現在、スウェーデン代表のエースといえばリバプールへ天文学的な移籍金で加入したアレクサンデル・イサクの名が挙がる。
しかし、ワールドカップ本大会にチームを導くほどの存在感はまだ示しきれていない。
ラーションの全盛期をリアルタイムで知る世代からすれば、両者を比べること自体が酷かもしれない。
彼が放った輝きは、時代を超えて色褪せない“特別”そのものだった。
Jリーグでの輝きと唯一の“影”
Jリーグでは、俊輔は史上初のMVP複数回受賞(2000年・2013年)。
しかも両方とも横浜F・マリノスでの受賞――これは本当に偉業だ。
ただし、そんな俊輔にも“唯一の場所”があった。
それが日本代表。ワールドカップだ。
本人も語っていたように、W杯前になると調子を落とす。
強烈なプレッシャーが、彼の繊細な感性を圧迫していたのだろう。
それでも、2010年に代表を退いてからはクラブで完全復活し、
マリノス・ジュビロで歴史に残るFKを次々と叩き込んだ。
ワールドカップで直接FKを決めていたら――
俊輔は“日本サッカー史上最高のレジェンド”として今よりもはるかに大きく語られていたはずだ。
それでも、私は断言する 中村俊輔は、日本が生んだ唯一無二のアーティスト
中村俊輔は、日本が生んだ唯一無二のアーティストである。
彼が描いた軌道の美しさは、単なるサッカーの枠を超えている。
プレーの“意図”ではなく、“哲学”を感じる稀有な存在だ。
彼がもうピッチに立つことはない。
しかし、あの左足が残した芸術は、永遠に語り継がれるだろう。
そして私はこれからもずっと、
次に現れる“日本のナンバー10”を探しながら、
心のどこかでこう願い続けている。
――俊輔を超える芸術家よ、いつか現れてくれ。
けれど、本音を言うと超えてほしくない。
あの左足は、唯一無二であってほしいから。
セルティックでは今も語り継がれるレジェンド
セルティック時代の中村俊輔の動画がYouTubeで公開されれば、今でも「ナカ」「最高のレジェンド」というコメントを目にすることができる。
中村俊輔——2005〜2009年の4年間、彼が放った輝きはクラブの歴史に確かに刻まれている。
当時、サポーターの中には“再びナカの魔法を見たい”と復帰を望む声も少なくなかった。
全盛期の俊輔を毎週のように目撃できたセルティックサポーターは、間違いなく幸運だったと言えるだろう。
同時代のアジア人トッププレーヤーといえば、日本の中田英寿、韓国の朴智星が挙げられる。
しかしフリーキックに限れば、俊輔は彼らを凌駕していた。
その左足から放たれるボールは、軌道の一つひとつが芸術。
セルティックファンが彼を「ナカ」と愛称で呼び、特別視した理由がそこにある。
現在、セルティックには古橋亨梧や前田大然といった日本人が在籍し、高い評価を得ている。
だが、俊輔が得た“レジェンド”の扱いに肩を並べるかと問われれば、おそらく答えはNOだろう。
理由は明白。
俊輔が残したような、記憶に深く刻まれる“決定的な一撃”——あのマンチェスター・ユナイテッド戦のFKのような、クラブの歴史に刻まれるゴールをまだ決めていないからである。
俊輔は、技術と物語の両方でファンの心に刻まれた。
だからこそ、彼は今もセルティックで語り継がれる唯一無二の存在なのだ。

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