天才的快速ウイング宮市亮とは?
宮市亮 ポジションFW
左サイドを主戦場とする足の速さが売りのウイング
中京大学附属中京高等学校時代は怪物だった
宮市亮は野球部で有名な中京大学附属中京高等学校に入学し、1年生でレギュラーとして活躍、その後U-17ワールドカップに出場する。
ちなみに日本代表の宇佐美貴史は同世代で彼らのことをプラチナ世代と呼ぶ。
第88回、第89回全国高等学校サッカー選手権大会では2大会連続で大会最優秀選手に選ばれる。
2010年海外のクラブの練習に参加し、そのプレーがアーセナルの元名古屋グランパスの監督だったアーセン・ベンゲルの目にとまり
入団が決定する。
高校生を卒業した日本人がイングランドのビッククラブに入団するなど超異例のことであった。
オランダのフェイエノールトではロナウジーニョ級の活躍をみせるも・・
アーセナル入団後、最初のシーズンはイングランドの就労ビザがおりなかったため、
オランダのフェイエノールトにレンタル移籍をする。
そこで「リョウジーニョ」とあだ名がつくほどの活躍をみせ、オランダでは一躍有名人に。
翌シーズンアーセナルに復帰するもリザーブリーグでまさかの怪我をしてしまい、公式戦の出場は僅かに2試合だけだった。
同シーズンの冬にプレミアリーグのボルトンに移籍し、
19才でプレミア初出場、初アシストを決める。
ワールドクラスのDFを相手に左サイドをトップスピードで切り裂いていくプレーはオランダ代表のロッベンを彷彿とさせた。
その目覚ましい活躍が当時の日本代表監督だったザッケローニに評価され
2012年に日本代表に初召集された。
宇佐美は代表レベルじゃないといったザッケローニから高いクオリティーがあると賞賛される
2012年宮市亮は日本代表に初召集され、アゼルバイジャン戦に途中投入されるが強烈なインパクトを残すことができなかった。
だが2014年ブラジルW杯アジア3次予選のウズベキスタン戦に召集され再びアピールするチャンスが訪れる。
「現在のボルトンでの活躍も目を見張るものがあし、素晴らしいクオリティを持っている。宇佐美を呼んだ時は代表レベルの選手ではないと言ったが、宮市の場合は昨季のオランダでの活躍もあるし、今季のボルトンでも素晴らしいスピードを見せ、高い順応力でチームになじんでいる。
これまでの若手選手よりもう一歩前に進んでいるのかなと思う」
ザックが可能性感じた宮市亮。早々招集も遠のく代表定着 | フットボールチャンネル「これまでの若手選手よりもう一歩前に進んでいるのかなと思う」 宇佐美貴史とともにJFAエリートプログラム、U
ザッケローニからは現在の日本代表ガンバ大阪の宇佐美貴史以上のクオリティーがあると評価されていた。
しかし宮市亮をわざわざ召集したにも関わらず、ザッケローニは試合で彼を使わなかったのだ。
宮市が監督にアピールできるチャンスは二度と訪れることはなく、
ブラジルワールドカップのメンバーには落選してしまう。
2013コンフェデレーションズカップでザックを解任し監督交代となっていれば宮市がブラジルワールドカップに出場してたかも
ブラジルワールドカップの1年前、各大陸の王者同士が激突するコンフェデレーションズカップが開催された。
ワールドカップの予行演習的な大会であるコンフェデ杯で日本はまさか?いや予想通りの最下位で終える。
そこで持ち上がったのがザッケローニ解任論だ。
消極的な采配が1勝もできなかった原因とされ、多くのサッカー評論家から酷評された。
しかし日本サッカー協会はザッケローニに続投してもらう決定を下す。
だがブラジルワールドカップではコンフェデでの反省点を改善できないまま迎えたため
1勝もできずにブラジルの地を後にした。
ザッケローニ解任でピンチヒッター岡田武史登場
ここで「もし」ザッケローニが解任されたとしたらどうなっていのだろう?
これははっきりいって緊急事態である。
後任監督がいない。
実績ある監督に頼みたいが交渉には時間がかかる。
となれば「あの男」しかいない。
そう、南アフリカワールドカップで指揮を執った岡田武史である。
もう二度と日本代表の監督はやりたくないと公言した彼だったが、日本サッカーのピンチなのだ、おそらく断らなかっただろう。
彼が指揮をする日本代表はザッケローニ時代を継承しつつ、次々と新しい選手を試す。
もちろん宮市亮もその中の1人に入っている。
無名だった本田圭佑を日本代表の中心選手にしてしまったのだから
宮市を起用することになんの抵抗も感じなかったのではないだろうか。
完全にたらればの話であるが、ザッケローニから岡田武史に再びバトンが渡っていたら
宮市がブラジルワールドカップに出場していたかもしれない。
オランダのトゥエンテにレンタル移籍、今夏アーセナルを退団しドイツ2部のザンクトパウリへ移籍
度重なる怪我でアーセナルに復帰しても試合に出れない宮市は
2014年9月にオランダの2部リーグに在籍するトゥエンテへとレンタル移籍。
そこでかつての輝きを取り戻す片鱗をみせるも監督に愛想をつかれ
2015年3月に契約満了となり1年でアーセナルに戻る。
そしてさらに宮市に悲劇が襲う、2015年6月には所属元のアーセナルからついに契約終了を言い渡されフリーに。
今夏移籍先に選んだのはドイツの2部ザンクトパウリだった。
ここで再起をはかる宮市だったが7月の親善試合でまたも大けがを負ってしまう。
天才的な俊足アタッカーは常に怪我がつきまとう。
リハビリもかねて日本のJリーグに移籍するのも1つの選択肢ではないだろうか。
おそらくドイツ2部にいるよりは日本代表にも選ばれる確率は上がるだろう。
オランダのアヤックスからバルセロナへ入団
もう一つの宮市亮のたらればを考えたいと思う。
それは高校卒業後もしアーセナルに行かずに違うクラブに入団していたらどうなっていたか?というものだ。
おそらくアーセナル以外にも宮市亮にはいくつかのオファーが届いていたはず。
ここではオランダの名門アヤックスからオファーがあったとして話を進めていく。
注意!ここから完全に小説です(笑)
アヤックスはバルセロナの原型モデルとなったクラブで、オランダの超名門である。
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また若手育成クラブとしても有名だ。
そこに18才の宮市亮が入団。
オランダでは実績を残していた彼のことだからアヤックススタイルにも順応し、即戦力となっていただろう。
そして彼はアヤックスでブラジルワールドカップまでの期間を過ごし、ワールドカップにも出場。
そこで日本のグループリーグ突破の立役者となり、2014年夏の移籍市場で世界のビッグクラブが注目。
各メディアには「香川以上の逸材」と報じられる。
リーガ、プレミア、ブンデス、セリエAの世界4大リーグの各クラブからオファーが届き、彼が最終的に選んだのはなんと
スペインのリオネル・メッシ擁するバルセロナ。
ワールドカップが始まる前はスアレス獲得を目指していたバルサが宮市の活躍をみてまさかの心変わりをし、夢のような移籍が実現。
日本のメディアはこの事実を「キャプテン翼の世界が宮市によって現実となった」と報道。
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そして現在は怪我をしたエースメッシの穴を埋める活躍をみせ
ブラジル代表のエースネイマールと共にゴールとアシストを量産している。
と以上が宮市亮の「もしも」を勝手に私が考えた彼のもうひとつの未来つまりパラレルワールドである。
もしかしたらあのとき、あの選択をしていなかったらあの選手の未来は全く違っていたかもしれない。
そういう視点でサッカーのことを考えるとまたおもしろいので
皆さんも好きな選手の自分だけの「if」を考えてみてはどうだろうか。
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