W杯に行けなかったのはカズだけではない
歴史が短い日本サッカー史で最もスキャンダルなのが、
三浦知良ことカズがフランスワールドカップのメンバーから落選したことだろう。
しかし6大会もでている日本ではカズ以上に才能がある選手が数多く
代表から落選している。そこで当時の記憶を掘り起こしまとめてみたのでみてほしい。
久保竜彦
日本史上で一番の規格外のストライカーが久保竜彦である。
本人いわく「トラップがうまく収まらないのでワンタッチゴールしかない」
だったそうで現役時代がとにかくワンタッチシュートが多かった。
強豪チェコ相手に決めたスーパーゴールは当時を知る人にとっては衝撃だったと思う。
2002年怪我もなく全盛期だった久保が日韓ワールドカップのメンバーに入っていたら
おそらく日本はベスト8に進出していただろう。
だがトルシエのことを現役時代に嫌いだったと久保本人は話しており、監督と最後まで馬が合うことはなかった。
ジーコが監督だったときは相思相愛という感じだったが、スーパーゴールを量産してきた
久保の体は2006年代表で戦うには限界を迎えており、残念ながらワールドカップ出場は叶わなかった。
石川直宏
2009年FC東京の象徴である石川直宏はまさに誰にも止められないストライカーだった。
当時の日本代表監督は岡田さんであり、調子のいい石川を
親善試合に呼んでいる。
2009年シーズンはJリーグで15ゴールを決めており、2010年の南アフリカワールドカップのメンバーには
確実かと思われたが、怪我のためメンバー落ち。
引退するまで彼はずっと怪我に泣かされてきた。
もし選ばれていればパラグアイ戦の切り札として活躍していたかもしれない。
家長昭博
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川崎フロンターレの優勝に大きく貢献しているのが現在34歳の家長昭博である。
年齢を重ねた現在、さらに進化している印象だ。
本田圭佑と同学年の天才は、元日本代表監督のザッケローニも認めるほど。
ザッケローニは彼をボランチで起用したかったらしく、遠藤保仁との世代交代を
家長昭博としたかったようだ。
だが家長昭博はボランチを好まなかった。
今の川崎で使われているのは主にサイドハーフである。
もし家長昭博がポジションを下げることを受け入れたら、
ブラジルワールドカップにもいけていたかもしれない。
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