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イニエスタだけじゃない!ヴィッセル神戸に所属していた歴代バルセロナ出身6選手

Jリーグ
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ヴィッセル神戸は2025年7月27日、ノエビアスタジアム神戸で創設30周年記念チャリティーマッチ「FRIENDLY MATCH ヴィッセル神戸 vs FCバルセロナ」を開催します。

観戦を120%楽しむ鍵は、両クラブをつなぐ“元バルサ”の歴代6選手
ミカエル・ラウドルップ
アンドレス・イニエスタ
ダビド・ビジャ
セルジ・サンペール
トーマス・フェルマーレン
ボージャン・クルキッチ

の足跡を押さえることです。

この記事では彼ら6人が神戸にもたらした技術、タイトル、経済効果を振り返ります。

① ミカエル・ラウドルップ(1996年神戸加入)

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バルサ“ドリームチーム”の司令塔(1989-1994)

1989年から1994年までFCバルセロナに所属し、当時「ドリームチーム」と呼ばれた名門の中でも中心的な存在でした。

この時代のバルセロナは、オランダの名将ヨハン・クライフ監督のもと、華やかな攻撃サッカーで世界を魅了しました。

ラウドルップはその攻撃のリズムをつくる“司令塔”として、圧倒的な存在感を放っていたのです。

 実際にラウドルップが在籍していた5年間で、バルセロナは以下のような実績を残しています。 

  • リーガ・エスパニョーラ4連覇(1990-91〜1993-94)
  • 欧州制覇:1991-92シーズンUEFAチャンピオンズカップ優勝
  • 国王杯優勝:1989-90シーズン

このように、バルセロナの黄金期を支えたラウドルップはまさに「ドリームチームの司令塔」と呼ぶにふさわしい存在だったのです。

昇格元年のヴィッセルで示した別格テクニック(1997)

1996年7月、ミカエル・ラウドルップが当時JFLのヴィッセル神戸に電撃加入しました。

デビュー戦となった同年8月18日のブランメル仙台戦では、観客1万2150人が見守る中で2得点を挙げ、4-2の勝利を演出しました。

その後も攻撃的MFとして輝きを放ち、9月15日の第21節コンサドーレ札幌戦では移籍後初の3アシストを記録し、チームを5-1の快勝へ導きました。

その後もスピードのあるドリブルと的確なパスワークで攻撃的MFとしてチームを引っ張り、Jリーグ昇格の立役者となったのです。

当時のチームメート・和田昌裕さんは
「来るはずのないタイミングでパスが出て、決められない体勢から楽々ゴールを奪う。練習から驚かされた。」
と回想し、別格ぶりを証言しています。

しかし、1997年のJ1第3節・横浜フリューゲルス戦で前半16分に負傷退場し、その後は公式戦に出場しないまま退団を余儀なくされました。

短い在籍期間でしたが、クラブ史に鮮烈な足跡を残しています。

② アンドレス・イニエスタ(2018年神戸加入) 

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バルセロナの英雄が選んだ極東チャレンジ 

アンドレス・イニエスタは、2018年7月にヴィッセル神戸へ移籍しました。

移籍会見で神戸を選んだ理由を問われると、
「ヴィッセルが提案してくれたプロジェクトが興味深かったから。日本の文化が素晴らしいことも大きな理由の1つだ」と語りました。

同席した三木谷会長は「新ヴィッセル神戸でアジアナンバーワンクラブをめざす」と宣言し、イニエスタも「Jリーグがアジア全体に広がるよう力を貸したい」と抱負を述べています。

イニエスタはJ1リーグで114試合21得点を記録し、2020年1月1日にはキャプテンとしてクラブ史上初の天皇杯タイトルを掲げました。

さらにAFCチャンピオンズリーグにも出場し、国際舞台での経験をチームに還元しています。

バルセロナの英雄がヴィッセルでの挑戦を選んだ背景には、神戸の成長プロジェクトと日本文化への敬意がありました。

イニエスタの決断はピッチ上の勝利だけでなく、クラブのブランド価値と育成システムの強化にも大きく寄与したと言えます。

Jリーグの観客・売上を爆発させた“イニエスタ効果”

イニエスタの加入は大きな経済効果を生み、ヴィッセル神戸は観客動員と収益の双方で前例のない伸びを示しました。

2017年に18,272人だったホーム平均観客数は、加入から2年後の2019年に21,491人となりました。

同じ2019年度、クラブの営業収益は114億円に達し、Jリーグ史上最高額を記録しています。

イニエスタ効果でスポンサー収入と入場料収入を大幅に伸ばし、初めて100億円の大台を超えました。

指標201720182019
平均観客数18,272人19,794人21,491人
営業収益52.4億円96.6億円114.4億円

このデータが示すとおり、“イニエスタ効果”は単なる話題づくりではなく、数字で立証された経営インパクトでした。

ヴィッセル神戸はもちろん、Jリーグ全体がその恩恵を受けたと言えます。

③ ダビド・ビジャ(2019年神戸加入)

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W杯得点王が盟友イニエスタと再会した理由

ダビド・ビジャが2019年にヴィッセル神戸への移籍を決断した背景には、盟友アンドレス・イニエスタとの再会が大きな要因として挙げられます。

ビジャは移籍に際し、イニエスタに電話で相談し、神戸の街の魅力や家族が快適に過ごしていること、クラブの居心地の良さ、そしてヴィッセル神戸が掲げるプロジェクトについて詳しく話を聞いたと述べています。

なお、ビジャはMLSや中東、欧州のクラブから高額なオファーを受けていたものの、以下のような要素がヴィッセル神戸への移籍を後押ししたと考えられます。

  • クラブが掲げる『アジアナンバーワン』という目標
  • ヴィッセル神戸が推進するプロジェクト
  • よりテクニカルでボールを保持するサッカーを目指すスタイル
  • イニエスタと新たなプロジェクトへの挑戦

このように、盟友との再会とクラブの将来像が一致したことで、2010年W杯得点王は新たな挑戦を選択するに至りました。

1シーズンで魅せたゴール集と引退セレモニー

ダビド・ビジャはわずか1シーズンの在籍ながら、ヴィッセル神戸に多くのインパクトを残しました。

2019年、J1リーグ28試合で13得点、公式戦では計16得点を記録。

スペイン代表時代を思わせる高精度のフィニッシュで、観客を何度も沸かせました。

中でも第20節・名古屋グランパス戦での3人抜きからのゴールは、Jリーグ年間ベストゴールに選出されています。

得点シーンの多くは、ビジャの動き出しと一瞬の判断力の鋭さを証明するものでした。

左足のコントロールショット、ニア上を突くシュート、カウンター時の冷静なゴールなど、まさに“ストライカー”の名にふさわしい内容ばかりです。

同年11月、ビジャはシーズン終了をもっての現役引退を発表。

引退試合となったのは、2020年元日に開催された天皇杯決勝・鹿島アントラーズ戦。

後半終了間際に途中出場し、2-0の勝利とともにクラブ初タイトルを仲間と分かち合いました。

試合後のセレモニーでは、イニエスタと並びながら優勝カップを掲げ、6万人近いスタジアムに感謝の笑顔を見せました。

引退を惜しむスタンドからは、「Gracias Guaje(ありがとう、ビジャ)」の声が響き渡り、感動的な幕引きとなりました。

たった1年の在籍にもかかわらず、ビジャの残した記憶とゴールは、今も多くのファンの心に焼きついています。

④ セルジ・サンペール(2019年神戸加入)

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ラ・マシア育ちの守備的MFが目指した成長曲線

セルジ・サンペールは、FCバルセロナの名門育成機関「ラ・マシア」で育ち、2019年にヴィッセル神戸へ加入しました。

守備的ミッドフィールダーとして、攻守のバランスを調整する役割を担い、精度の高いパスと的確なポジショニングで中盤の軸としてチームを支えました。

J1リーグ通算88試合に出場し、加入初年度の2019年にはクラブ初となる天皇杯制覇に大きく貢献しています。

バルセロナ時代は度重なる負傷に悩まされましたが、移籍後はパーソナルトレーナーとともに体づくりに取り組み、スペインを離れてからは筋肉量を5キロ増やすなどフィジカル面でも大きく進化。

より高いパフォーマンスを発揮できるようになりました。

こうした努力の積み重ねによって、日本で確かな自信と実戦経験を得たサンペールは、チームにとって欠かせない存在へと成長しました。

ヴィッセル神戸における彼のプレーは、個人の再生とクラブの躍進の両方に貢献する価値あるものだったと言えるでしょう。

天皇杯制覇を支えた“つなぎ役”としての働き

セルジ・サンペールは、2019年の天皇杯においてヴィッセル神戸初のタイトル獲得を支えたキープレイヤーのひとりです。

大会を通じて5試合に出場し、守備的ミッドフィールダーとしてチームのバランスを支えました。

特に注目すべきは、2回戦のギラヴァンツ北九州戦での活躍です。

後半35分、ドリブルで相手ディフェンスを突破し、来日初ゴールを記録しました。

このゴールは彼自身にとっても特別なもので「自分の記憶にも長い間残るゴールだろう」と語っています。

また、準々決勝の大分トリニータ戦や準決勝の清水エスパルス戦でも先発出場し、チームの中盤を安定させる役割を果たしました。

精度の高いパスと的確なポジショニングは、攻守の要としてチームを支えました。

決勝戦には外国人枠の関係でベンチ入りこそ叶いませんでしたが、サンペールの働きは間違いなく大会を通じての原動力のひとつであり、クラブにとって歴史的な初タイトル獲得の立役者だったと言えます。

⑤ トーマス・フェルマーレン(2019年神戸加入)

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頭脳派CBがJリーグへ

2019年7月、トーマス・フェルマーレンはヴィッセル神戸に加入しました。

アーセナルやバルセロナといった欧州の名門クラブで実績を積んできたフェルマーレンの移籍は、大きな注目を集めました。

加入初年度の2019シーズンにはJ1リーグで8試合に出場。

さらに、天皇杯ではベスト16から決勝までの4試合すべてにフル出場し、クラブ史上初となるタイトル獲得に貢献しました。

2020年シーズンは負傷の影響もありリーグ戦出場は14試合にとどまりましたが、クラブ初参戦となったAFCチャンピオンズリーグでは守備の要としてチームをベスト4に導く働きを見せました。

翌2021年シーズンにはJ1リーグで23試合に出場し1得点を記録。

シーズンを通じて安定したパフォーマンスを見せ、クラブ史上最高成績となるリーグ3位の原動力となりました。

この活躍が評価され、Jリーグ優秀選手賞にも選出されています。

フェルマーレンは神戸での約2年半で、J1通算45試合・公式戦57試合に出場。

日本でのプレーを続けながらもベルギー代表に選出され、ユーロ2020では大会メンバーとしてピッチに立ちました。

クラブと代表、両方の舞台でその経験と知性を発揮し続けた実力者です。

最終ラインの要として築いた盤石ディフェンス

トーマス・フェルマーレンは、ヴィッセル神戸の最終ラインにおける絶対的な存在として、守備の安定に大きく貢献しました。

特に2021シーズンは、3バックや4バックの両システムに柔軟に対応し、中央で指揮を執るように守備を統率。

経験と判断力を武器に、失点の少ない堅実なディフェンス陣を築き上げました。

このシーズン、フェルマーレンはJ1リーグで23試合に出場し、安定した守備指標を記録。

対人戦でも安定感があり、的確な読みとタイミングでボールを奪取するスタイルは、若手選手の模範となるものでした。

フェルマーレンが最終ラインに加わったことで、神戸は守備面で大きな安定を手にし、2021シーズンのクラブ史上最高順位となるリーグ3位を達成。

失点数も前年から大幅に改善され、守備面での成長が勝点の積み上げにつながりました。

冷静かつ知的なディフェンスは、間違いなくチームの土台となっていました。

⑥ ボージャン・クルキッチ(2021年神戸加入) 

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“かつての神童”が語る日本挑戦のモチベーション 

ボージャン・クルキッチは、2021年8月にヴィッセル神戸へ加入しました。

バルセロナの下部組織「ラ・マシア」で育ち、16歳でトップチームデビューを果たしたボージャンは、数々の欧州クラブを渡り歩いた後、日本での新たな挑戦を選びました。

加入の経緯については
「まずはクラブが興味を示してくれたのが大きかった。キャリアにおいて日本でプレーすることにモチベーションを感じた。イニエスタやサンペール、武藤選手と元同僚がチームにいる環境も自分にとっては魅力的。このチームのために全力を尽くしてやっていきたい」
と語りました。

神戸でのプレー期間中、ボージャンは怪我と戦いながらも公式戦28試合に出場し、4得点を記録。

華麗なテクニックや鋭いターンで観客を魅了しました。

神戸で刻んだラストゴールとキャリアの幕引き 

ボージャン・クルキッチがプロキャリアの最後に刻んだゴールは、ヴィッセル神戸でのものでした。

2022年5月18日、JリーグYBCルヴァンカップ・グループステージ第6節・サンフレッチェ広島戦での一撃――それが、ボージャンにとって現役最後のゴールとなりました。

後半84分、左足で冷静に押し込んだそのゴールには、かつて“バルサの神童”と呼ばれた男の技術と気品が詰まっていました。

怪我の影響で出場機会は限られたものの、日本でのラストイヤーを通して見せたのは、技術だけではなく人間としての成熟でした。

ボージャンは引退発表の際、「日本で過ごした時間は、最も1日が長く、最も成長できた場所だった」と語り、ピッチ外での経験にも深い感謝を表しました。

2023年3月、32歳で現役引退を表明。

FCバルセロナでの歴代最年少得点記録、数々の欧州クラブを渡り歩いた日々、そして最後に選んだ日本という地――そのすべてを振り返り、「すべてを心で選んできた」と語る言葉には、満ち足りた表情がありました。

神戸で決めた最後のゴールは、決して華やかな一発ではありません。

しかしそれは、キャリアを静かにそして美しく締めくくるにふさわしい“終章の一撃”だったのです。

まとめ

FCバルセロナのDNAを持つ6選手が、時代を超えてヴィッセル神戸に集ったことは、単なる話題性にとどまりませんでした。

技術や戦術の継承はもちろん、クラブ文化や若手育成にも大きな影響を与え、Jリーグ全体にポジティブな波紋を広げました。

ご紹介した6人のプレーや人柄を通して、神戸というクラブが築いてきた「バルサスタイル」は、チーム戦術の柱となり、初の天皇杯優勝やACLベスト4、リーグ3位など確かな実績へとつながっています。

2025年7月27日に行われる「ヴィッセル神戸 vs FCバルセロナ」のクラブ創設30周年記念チャリティーマッチは、これまでの歩みを振り返ることで、より深く楽しめる特別な一戦となるはずです。

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