曲芸という言葉が最も似合うハリーポッターと呼ばれた選手
あなたは、リカルド・クアレスマという選手を知っているか。
フルネームは、リカルド・アンドラーデ・クアレスマ・ベルナルド。
ポルトガル・リスボンで1983年9月26日に生を受けた。
愛称は、そのプレースタイルからハリーポッター。
プレースタイルは、右のアウトサイドキックを愛用し、曲芸的ドリブルを好む。
トリッキーなプレーをすることに固持するあまり
ビッククラブで大きな活躍を収めることはできなかったが、
印象に残るプレーを披露してきた。
スポルティング・リスボンからいきなりビッククラブのバルセロナへ移籍するも1年でデコとトレードで放出
地元の名門 スポルティング・リスボンの下部組織から2001~2002シーズンにトップチームに昇格し、デビュー。
すると、即座に名門の主力に定着し国内2冠に貢献し、翌シーズンも活躍。
そして2003年夏に、FCバルセロナに引き抜かれる。
バルサに移籍してもすぐにレギュラーをつかみも、
シーズンが進むにつれフォーメーション変更等でスタメンの機会が激減する。
すると、指揮官のフランク・ライカールトと衝突し
2004年夏にデコとのトレードでポルトガルの名門 FCポルトに放出。
また、このシーズン終盤に足の甲を骨折し、
シーズン終了後に待っていた母国開催のEURO2004とU-21欧州選手権の欠場を余儀なくされた。
仮に、出場していればどちらも、主軸として活躍していたはずだった。
なんせ、フィーゴの7番の後継者として期待されていたのは、
クリスティアーノ・ロナウドではなく、このクアレスマだったのだから。
失意のままポルトガルの強豪ポルトに移籍。チームにリーグ3連覇をもたらす活躍をみせる
1シーズンでの母国復帰となったが、けがから復帰するとすぐに輝きを取り戻す。
ポルトでも主力となり、移籍2シーズン目の2005~2006シーズンに国内2冠に貢献するも、
2006FIFAワールドカップのメンバーから漏れた。
それでも、精神的に成熟したクアレスマは、翌2006~2007シーズンもポルトのリーグ連覇に貢献。
自身も年間MVPを受賞し、ビッククラブ移籍が噂されるも残留。
2007~2008シーズンも主力として貢献し、ポルトにリーグ3連覇をもたらす。
それを置き土産に2008年夏 同胞ジョゼ・モウリーニョが就任した
イタリア・セリエAのインテル・ミラノに移籍した。
ビッククラブ再挑戦へ。モウリーニョの率いるインテルに移籍
心身ともに成熟し、満を持しての国外ビッククラブ再挑戦だったが、待っていたのは苦戦の日々だった。
相思相愛のはずだったが、モウリーニョの戦術にフィットせず、
イタリアラジオ局のリスナーが最も期待はずれだった選手を選ぶ
イタリア年間最悪選手賞
通称「金のバケツ賞」を受賞してしまう。
そのせいもあってか、2009年にプレミアのチェルシーにレンタル移籍で放出。
2009-2010シーズンにはインテルに復帰し、フィーゴがつけていた7番を受け継いだが
わずか3試合の出場にとどまり、そのシーズンの3冠に貢献することはできなかった。
ユーロ2016でポルトガル代表に選出。クリスティアーノ・ロナウドのよき相棒に
現在はトルコのベシクタシュでプレーするクアレスマ。
2014年に復帰したポルトではチャンピオンズリーグのバイエルン戦でノイアー相手に
得意の右足アウトサイドでのシュートをゴールに叩きこんだ。
魔法使いと呼ばれた男の完全復活を果たした瞬間だった。
「努力は下手くそがやること」
「連係?俺が全員をドリブルで抜いてシュートを決める
バイエルンを血祭りに上げた天才。かつてC・ロナウドとライバルだった男の逆襲。(小宮良之) - エキスパート - Yahoo!ニュース4月15日、欧州チャンピオンズリーグ準々決勝1レグ。FCポルトは、優勝候補のバイエルン・ミュンヘンを本拠地ドラゴンに迎え、見事に打ち破っている。殊勲の立役者となったのは、2得点を決めたリカルド・クアレ
かつては傲慢な態度をとっていた天才は、今ではチームために守備をするのも厭わない。
ポルトガルでは同じスポルティング・リスボンの下部組織出身の
ドリブラーということでクリスティアーノ・ロナウドと比較され続けてきたが、
クアレスマはロナウドのことを弟のように可愛がり、
共にエゴイスティックな1面を持ちながらピッチ内外で、良好な関係を築いている。
ポルトガルはユーロで現在、ベスト4になんとか残っている。
バイエルン所属のレヴァンドフスキ擁するポーランドをPK戦の末下し
次はベルギー対ウェールズの勝者と対戦することになっている。
ロナウドとクアレスマの天才同士のコンビネーションプレーが発揮されれば
勝つ見込みは十分にある。
ハリーポッターの大会での更なる活躍に期待しようではないか。
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