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中田英寿在籍セリエA最強チームASローマ2000-01黄金期メンバー11選手

コラムまとめ
この記事は約27分で読めます。

ASローマはイタリアの首都ローマをホームタウンとする黄色と赤をクラブカラーとする1927年創設のクラブである。

2000-01シーズンのセリエAは、ロマニスタ(ローマファンの愛称)にとって忘れられないシーズンとなった。

ASローマがクラブ史上3度目のスクデットを獲得したからだ。

優勝候補であったジダン擁するユベントスを、わずか2ポイント差で振り切っての栄冠達成であった。

ASローマが最強のユベントスを退けてセリエAを制し、スクデットを獲得できたのは決して偶然ではない。

このシーズン、ASローマクラブオーナーのフランコ・センシは巨額の資金を投じていた。

ASローマがこのシーズンに獲得した選手をあげていく。

フィオレンティーナからガブリエル・バティストゥータを3600万ユーロで獲得。

アルゼンチンのボカ・ジュニアーズからワルテル・サムエルを2000万ユーロで獲得。

カリアリからジョナタン・ゼビナを1800万ユーロで獲得。

さらにバイエル・レバークーゼンからエメルソンを1800万ユーロで獲得。

現代のマンチェスター・ユナイテッドのように大型補強を重ねた結果、ASローマの戦力は優勝を狙えるほどの陣容になった。

この記事では、当時のASローマ黄金期を象徴する2000-01シーズンの優勝メンバーの中から、生粋のロマニスタでありファン歴20年の私が優勝に貢献したと思う11選手と監督を紹介していく。

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  1. 監督 ファビオ・カペッロ
  2. 黄金期2000-01優勝メンバー1人目 GK フランチェスコ・アントニオーリ イタリア国籍 背番号1
  3. 黄金期2000-01優勝メンバー2人目 DF ワルテル・サムエル アルゼンチン国籍 背番号19
  4. 黄金期2000-01優勝メンバー3人目 DF ジョナタン・ゼビナ フランス国籍 背番号15
  5. 黄金期2000-01優勝メンバー4人目 DF アントニオ・ザーゴ ブラジル国籍 背番号3
  6. 黄金期2000-01優勝メンバー5人目 DF アウダイール ブラジル国籍 背番号6
  7. 黄金期2000-01優勝メンバー6人目 DF カフー ブラジル国籍 背番号2
  8. 黄金期2000-01優勝メンバー7人目 MF ダミアーノ・トンマージ イタリア国籍 背番号17
  9. 黄金期2000-01優勝メンバー8人目 MF エメルソン ブラジル国籍 背番号11
  10. 黄金期2000-01優勝メンバー9人目 FW フランチェスコ・トッティ イタリア国籍 背番号10
  11. 黄金期2000-01優勝メンバー10人目 FW ビンチェンツオ・モンテッラ イタリア国籍 背番号9
  12. 黄金期2000-01優勝メンバー11人目 FW ガブリエル・バティストゥータ アルゼンチン国籍 背番号18
  13. まとめ 〜ASローマ黄金期2000-01優勝メンバーを代表する11選手を選ぶ大変さ(監督含む)〜
  14. 選外黄金期2000-01優勝メンバー12人目 FW マルコ・デルヴェッキオ イタリア国籍 背番号24
  15. 選外黄金期2000-01優勝メンバー13人目 MF 中田英寿 日本国籍 背番号8
  16. 選外黄金期2000-01優勝メンバー14人目 MF クリスティアーノ・ザネッティ イタリア国籍 背番号4

監督 ファビオ・カペッロ

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カペッロの指揮スタイルは、堅実で守備的な戦術を重視するもので、当時は「結果だけを追うサッカー」としてロマニスタ(ローマファンの愛称)から揶揄されていた。

しかし今振り返れば、その采配はまるでオーケストラを指揮する巨匠のようだったとも言える。

カペッロの戦術的アプローチは極めて実用的でありながら、攻撃面でも圧倒的な効果を発揮した。

彼は3-4-1-2のフォーメーションを採用し、規律ある守備と組織的な陣形を徹底。

その結果、ローマは7万人を収容できるスタジアムスタディオ・オリンピコをまさに要塞と化し、リーグ戦では一度もホームで敗れることがなかった。

中盤はカペッロ戦術の心臓部であり、エメルソンやクリスティアーノ・ザネッティといった選手たちが力強くピッチを駆け回り、守備から攻撃へのスムーズな切り替えを支えた。

カペッロのチームは、単に勝利だけを追い求める集団ではなかった。イタリアの伝統であるカテナチオ(堅守)と、鋭いカウンターアタックを融合させた独自の戦術スタイルを築き上げていたのである。

トッティやバティストゥータといったタレントが繰り出すカウンターアタックは、世界最高峰の堅守を誇るセリエAカルチョチームの守備陣でさえも悪夢だったに違いない。

中盤からのロングパスを軸に、前線の運動量とスター選手の個の力を活かして打開する――。

カペッロは、そうした力強くも美しい黄金期のローマを見事に作り上げたのだ。

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黄金期2000-01優勝メンバー1人目 GK フランチェスコ・アントニオーリ イタリア国籍 背番号1

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ロマニスタにとってアントニオーリが最も偉大なイタリア人ゴールキーパーであることは間違いない。

ピッチ上では常に冷静で、反射神経は映画マトリックスのようだと評価する人もいるほど優れていた。

1992年のバルセロナオリンピックではイタリア代表の正GKとしてプレーしたが、A代表ではプレー経験はない。

それもそのはず、この時代のイタリア代表のGKにはジャンルカ・パリュウカ、アンジェロ・ペルッツィ、フランチェスコ・トルド、ジャンルイジ・ブッフォンと才能ある選手がゴロゴロいたからだ。

クラブでは不動のGKとして活躍していたが代表では活躍の場がなかったゴールキーパーといえば、スペインのビクトル・バルデス、ドイツのテア・シュテーゲンが思いつく。

アントニオーリはローマ在籍時に145試合に出場し2012年に引退するまでにセリエAで400試合以上に出場した。

黄金期2000-01優勝メンバー2人目 DF ワルテル・サムエル アルゼンチン国籍 背番号19

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2000年夏にアルゼンチンの名門ボカジュニアーズからやってきた当時22歳の若きアルゼンチン人DFがサムエルだった。

サムエルは加入して間もなく、カペッロ監督の信頼を獲得すると、ジャッロ ロッシ(ローマの愛称)の守備陣の絶対的なリーダーとしての地位を確立する。

滅多に相手選手をかわすことがなかったことから、「ザ・ウォール」というあだ名で呼ばれたサムエル。

審判が試合開始の笛を吹いた瞬間から、サムエルは相手にプレッシャーをかけ始める、まさにピッチ上で戦うファイターだった。しかしピッチ外ではとてもシャイであり、それがまたサムエルの魅力の1つといえる。

ローマ在籍の4年間で、サムエルは通算173試合に出場し、11ゴールを記録している。

2004年にローマからレアルマドリードへと移籍するも1年で退団。

その後インテルへとフィーゴらとともに移籍し、再びスクデットを獲得に貢献する活躍を見せた。

黄金期2000-01優勝メンバー3人目 DF ジョナタン・ゼビナ フランス国籍 背番号15

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ジョナタン・ゼビナ——フランス・パリ出身のセンターバック。

ヴァンサン・カンデラに続いて、ASローマのシャツに袖を通した二人目のフランス人だ。

セリエAではまずカリアリで2シーズンを過ごし、2000年にローマへ加入。

加入直後のキャンプで負傷してしまう不運もあったが、復帰後は右のセンターバックとして見事にチームにフィットした。

右ウイングバックのカフーとの連携は見事で、あの右サイドはまさに鉄壁だった。

気性の荒さは時に見せたが、空中戦の強さはリーグ屈指。堅実な守備で他のCBたちとともに強固なディフェンスラインを築き上げた。

2000-01シーズンにはセリエAで22試合に出場。

守備陣の柱として安定したパフォーマンスを見せ、あの悲願のスクデット獲得に大きく貢献した一人だ。

あの頃のゼビナは、間違いなくキャリアのピーク。
ローマの一員として、闘志と誇りを胸にプレーしていた。

しかし2004年、カペッロとともにユベントスへ移籍。

しかもフリーでの移籍だったため、クラブに一銭も残らなかったのは今でも残念でならない。

あの堅実で力強い守備を思い出すたび、もう一度ローマの赤と黄色のユニフォームに袖を通したゼビナを見たかった——そんな気持ちが今でも胸に残っている。

黄金期2000-01優勝メンバー4人目 DF アントニオ・ザーゴ ブラジル国籍 背番号3

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アントニオ・ザーゴ――1998年、ブラジルの名門コリンチャンスからローマにやってきたブラジル人センターバック。

南米らしい熱さと経験を兼ね備えた守備職人であり、冷静さと闘志を併せ持つ貴重な存在だった。

2000-01シーズンには左CBとしてジョナタン・ゼビナ、サムエルと共に3バックを形成。

この鉄壁の守備陣が、ローマに実に18年ぶりとなるスクデットをもたらした立役者の一人だ。

ザーゴの最大の持ち味は、守備だけではない。

最終ラインから繰り出される中・長距離の正確なフィードで、前線へのビルドアップを支え続けた。

守備の安定感と攻撃の起点、両方を担える稀有なCBだった。

タレント揃いのチームの中でもカペッロ監督からは常に信頼され、コンスタントに試合に出場。

ローマでの公式戦出場は138試合に達し、そのすべてに彼の誇りと責任感が滲んでいた。

2004年にトルコのベシクタシュへ移籍し、ローマを離れることになるが、彼の功績は今もファンの記憶に深く刻まれている。

のちに2020年、Jリーグ・鹿島アントラーズの監督を務めたのも印象的だ。

あの冷静沈着なザーゴが、日本の地で采配を振るっている姿を見たとき、ローマファンとして胸が熱くなったものだ。

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黄金期2000-01優勝メンバー5人目 DF アウダイール ブラジル国籍 背番号6

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アウダイールは1990年、ポルトガルの名門ベンフィカからASローマへとやってきたブラジル人ディフェンダー。

長きにわたってチームを支え続け、トッティへキャプテンマークを託すまでの間、ローマの精神的支柱としても君臨した名選手だ。

2000-01シーズンの優勝時には3バックのスタメンではなかったものの、どのセンターバックに代わっても遜色ない安定感を誇り、試合に出れば必ず結果を残す頼れる存在だった。

対人プレーに強く、ポジショニングの読みも鋭い。監督からの信頼は絶大で、まさにチームの守備を陰で支える“職人”だった。

同僚だったアントニオーリが「ブラジル史上最高のセンターバック」と評したのも納得だ。

1990年から2003年までの13シーズンをローマで過ごし、通算440試合に出場。

その数字の裏には、クラブへの忠誠と、常に安定したパフォーマンスを見せ続けた誇りがある。

当時の監督ファビオ・カペッロも彼を高く評価しており、
「マノラスよりも実力は上。スピードもテクニックもあり、ピッチ上でどうプレーすべきかをすべて理解していた」と語っている。

アウダイールは、ローマの守備の歴史に名を刻む真のレジェンド。

その落ち着きと知性、そして揺るがぬ闘志は、今もロマニスタたちの心に深く残っている。

黄金期2000-01優勝メンバー6人目 DF カフー ブラジル国籍 背番号2

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カフーは黄金期のローマの最強右サイドバックである。

彼の異名は特急列車であり、その名の通り90分間右サイドをあり得ないスピードで縦横無尽に駆け回り、チームの攻撃において重要な役割を担っていた。

1994年、1998年、2002年とワールドカップ決勝に3度出場した史上最高のブラジル人右サイドバックとして評されるカフー。

できないプレーが見つからないほどになんでもできてしまう、タックル、ヘディング、ランニング、パス、ゴールと少し大げさかもしれないがそれほどに完ぺきな選手だった。

カフーは1997年から2003年まで約6年間ローマでプレーし、218試合に出場して8得点を記録している。

黄金期2000-01優勝メンバー7人目 MF ダミアーノ・トンマージ イタリア国籍 背番号17

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ダミアーノ・トンマージは、相手ディフェンスを崩す中盤の職人として「巨匠」と称された選手である。

1996年から2006年までの10年間、ジャッロロッシ(ローマ)の心臓部として活躍し、その献身的なプレースタイルでチームを支え続けた。

重傷を負った際には、自身の怪我とクラブの財政難を考慮し、なんと月給をわずか1,500ユーロに減額して再契約を希望。

その“ローマ愛”の深さは今なお語り継がれている。

ピッチ内外での謙虚さ、揺るぎない献身、完璧なプロ意識、そして確かな技術――。
トンマージは、まさに現代サッカーにおいても手本となる理想的なミッドフィールダーだった。

2000-01シーズンには出場機会こそ限られたものの(8試合出場・1得点)、練習態度やチームへの姿勢で周囲から絶大な信頼を得ていた。

ローマ在籍時通算でセリエA263試合に出場し、14ゴールを記録。

ASローマがセリエAを優勝したときはエメルソンの活躍が光ったシーズンだったが、その陰でチームを支えていたのがトンマージだ。

派手さはなくとも、精神的支柱としてローマを内側から支えた彼の存在なくして、スクデットは語れない。

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黄金期2000-01優勝メンバー8人目 MF エメルソン ブラジル国籍 背番号11

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エメルソンはブラジル代表として活躍した守備的ミッドフィールダーで、2000年にバイエル・レバークーゼンからローマへ加入した。

派手なパスこそ出さないが、その戦術理解度はエドガー・ダーヴィッツ、クロード・マケレレ、ミハエル・バラック、パトリック・ヴィエラら当時のワールドクラスMFに匹敵するものだった。

即戦力として大きな期待を背負っていたが、移籍直後に左足靭帯を損傷。長期離脱を余儀なくされ、一時はスタメン落ちも懸念された。

しかし復帰後の後半戦で見せたプレーは圧巻だった。リーダーシップと高いメンタルを武器に中盤を支配し、18年ぶりとなるローマのスクデット獲得に大きく貢献した。

ファビオ・カペッロ監督のもと、エメルソンはダブルボランチの一角としてチームの心臓部を担い、攻守のバランスを完璧にコントロール。

その後、カペッロがユベントスの指揮官に就任すると、エメルソンも同クラブへ移籍。

この“禁断の移籍”はイタリア国内で大きな話題を呼び、賛否両論を巻き起こすこととなった。

とはいえ、2000-01シーズンにおけるエメルソンの貢献は疑いようがない。

彼の存在なくして、ローマの黄金期は語れないだろう。

黄金期2000-01優勝メンバー9人目 FW フランチェスコ・トッティ イタリア国籍 背番号10

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ロベルト・バッジョと並ぶイタリア史上最高のサッカー選手といえば、やはりフランチェスコ・トッティだろう。

ローマの王子──いや、ローマそのものと言っても過言ではない存在だ。

もはや彼に限っては、「クラブの黄金期だったから活躍できた」といった文脈など関係ない。

トッティという存在そのものが、ローマの歴史であり、象徴である。

同時代のプレーメイカーといえばジダンやリケルメが思い浮かぶが、私にとってトッティは彼ら以上の存在だった。

ASローマを20年以上応援してきた中で、あれほど完璧な選手には出会ったことがない。

ボールを持った瞬間に観客の視線を集める技術、敵を弾き返すフィジカル、そして一瞬の判断力とピッチ全体を見渡す広い視野。

そのすべてが高次元で融合していた。右足でも左足でも、まるで意図を持ったようにシュートを決めるその姿は、ただの得点ではなく芸術作品だった。

そして、何よりも特筆すべきはその存在感だ。

トッティがピッチにいるだけで、試合の重心が彼に傾いた。ボールに触れずとも違いを生み出し、チームに影響を与えられる選手。そんな選手は、そう多くはいない。

彼は、自由と創造性がサッカーを支配していた最後の時代における、クラシックな10番だった。

16歳からローマ一筋で、他クラブでプレーしたことは一度もない。

レアル・マドリードからどれだけ魅力的なオファーが届いても、それを断り続け、ローマへの愛を貫いた。
そんな選択を、今のサッカー選手たちがすることはまずないだろう。

「誰もがトッティのようなプレーをしたいと夢見る。
だが、誰もがトッティのようなキャリアを選ぶわけではない。」

ローマが優勝した2000-01セリエAシーズンでは30試合に出場し、13得点3アシストを記録。
数字以上に、その“背中”がチーム全体に与える影響は計り知れなかった。

トッティのキャリアを振り返るとき、私たちは記録だけで彼を語ることはできない。

トッティの印象に残っているのは、現代サッカーのアスリート的スタッツではなく、芸術ともいえるプレーの数々だろう。

記録ではなく記憶。トッティは、そんな選手だった。

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黄金期2000-01優勝メンバー10人目 FW ビンチェンツオ・モンテッラ イタリア国籍 背番号9

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セリエAで最も過小評価されている選手――それがビンチェンツォ・モンテッラである。

調子が良いと、まるで当然のようにトリプレッタ(ハットトリック)を達成する。

身長172cmと小柄ながら、その軽やかな動きから「小さな飛行機(L’Aeroplanino)」の愛称で親しまれた。

モンテッラは1999年、サンプドリアからローマへと移籍。実はその前年、フィオレンティーナからバティストゥータとの強力コンビ結成のオファーを受けていたが、彼が選んだのはローマだった。

そして運命的にも、後にバティストゥータがローマへ移籍。

こうして、フィオレンティーナのフロントが夢見た“幻のコンビ”がローマで現実のものとなり、セリエA屈指の破壊力を誇る最強タッグが誕生した。

怪我の影響で途中出場が多い時期もあったが、ユベントスとの優勝争いの大一番では同点ゴールを決めるなど、決定力と試合を読む洞察力は抜群。

さらに、ローマダービー(対ラツィオ戦)で数々の得点を重ね、ロマニスタ(ローマファンの愛称)からは絶大な人気を誇った。

黄金期2000-01優勝メンバー11人目 FW ガブリエル・バティストゥータ アルゼンチン国籍 背番号18

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ガブリエル・バティストゥータは、当時のカルチョを代表するストライカーの一人だった。ロナウド・ナザリオ、ロベルト・バッジョ、ユーリ・ジョルカエフらと並び、世界最高峰のFWとしてその名を轟かせていた。

長年フィオレンティーナでプレーし、30歳を過ぎてすでに完成されたストライカーとなっていたバティストゥータは、2000年に悲願のスクデット(セリエA優勝)を目指してローマへ移籍。

当時のサッカー界で史上2番目となる移籍金3,615万ユーロという破格の金額が、その期待の大きさを物語っていた。

圧倒的なフィジカルとシュートセンスを誇り、加入初年度にして20ゴールをマーク。その強烈なシュートは「バティのスパイクにはバズーカが仕込まれている」とまで評されたほどだ。

ローマの優勝は、彼の得点力なくして語ることはできない。

ゴールエリア内での動き出しやポジショニングの正確さはいずれも当時No.1と称され、セリエA得点王の座こそ同じアルゼンチン出身のエルナン・クレスポに譲ったものの、ローマのチーム内得点王として申し分のない存在だった。

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まとめ 〜ASローマ黄金期2000-01優勝メンバーを代表する11選手を選ぶ大変さ(監督含む)〜

ローマを心から愛してやまない私が、独断と偏見で黄金期のメンバーからベストイレブンを選出した。

――正直に言う。これは想像以上に難しかった。

クリスティアーノ・ザネッティや中田英寿のような名手を外すなんて、ローマファンとして胸が痛む決断だった。

さらに、デルヴェッキオやヴァンサン・カンデラが入っていないことに、異論を唱える人もきっといるだろう。

でも、それでも彼らを「触れずに通り過ぎる」なんてことはできない。

イタリア人のザネッティ、デルヴェッキオ、そして日本人の中田。

彼らは間違いなくローマの歴史に刻まれた存在であり、選外にはしたがここでしっかりと語らせてもらった。

それでも――今回選んだ11人こそが、私が“最もスクデットに貢献した”と確信しているメンバーたちだ。

2000-01シーズンのローマは、新加入選手と既存メンバーが完璧に融合し、開幕から安定した戦いを見せた。

シーズン後半にはサブメンバーも主力に劣らぬ活躍を見せ、チーム全体で着実に勝ち点を積み上げていく。

そして、今回挙げた選手たちの働きが、18年ぶりとなる悲願のスクデット獲得を現実のものにしたのだ。

その後、ローマはしばらくスクデットから遠ざかっている。

だが、毎年のようにセリエAを沸かす新星の台頭、情熱あふれるクラブの歴史、ライバルたちとの激闘、そしてUEFAカンファレンスリーグ初代王者という新たな栄光――。

これらの歩みが示すように、ASローマというクラブは常に前進を続けている。

2025-26シーズンからはアタランタで実に9年監督をしていたガスペリーニが監督に就任。

彼がアタランタのときのように長期政権を築いていくれることをロマニスタは望んでいるだろう。

今後も再びスクデットを掲げ、ローマの街を歓喜で包む日が来ることを信じてやまない。

フットちゃん
フットちゃん

ここからは11人に選ばれなかった選手を紹介していくよ。泣く泣く選外にしてしまった選手たちです。。

選外黄金期2000-01優勝メンバー12人目 FW マルコ・デルヴェッキオ イタリア国籍 背番号24

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マルコ・デルヴェッキオは2000-01シーズンは得点こそ4ゴールと数値的な結果はなかったものの、前線からのプレス、本来フォワードだが様々なポジションをこなすユーティリティなどを見せ、激闘のセリエAを制す要員となった。

利き足の左足を生かすボール保持やチーム戦術を生かすキック力はゲームを支配する力として重宝された。

FW枠として選びたかったが、トッティ、モンテッラ、バティストゥータの3人は外すわけにはいかなかったため、やむなく選外とした。

選外黄金期2000-01優勝メンバー13人目 MF 中田英寿 日本国籍 背番号8

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11人のベストイレブンには選出しなかったものの、日本人として中田英寿は決して外せない存在である。

彼がローマのスクデット獲得に果たした貢献を語らずして、この記事の執筆を終えることはできない。

2001年1月シーズン途中にペルージャから2,170万ユーロの移籍金でローマへ移籍。

「ヒデ」の愛称で親しまれた中田英寿は、イタリアでもそのサッカーセンスと知性を高く評価され、ローマの黄金期に確かな足跡を残した。

同ポジションにはチームの象徴であるフランチェスコ・トッティがいたため、先発機会はほぼ0であったが、その存在感は決して小さくなかった。

とりわけ伝説的な試合となったユベントスとの首位攻防戦では、途中出場からわずかな時間で試合の流れを変える。

豪快なミドルシュートで1ゴールを決め、さらに彼の放った強烈なシュートがこぼれ球を生み、同点弾の起点となった。

この活躍により、ローマは悲願の優勝へと大きく前進し、中田は今もロマニスタたちの記憶に深く刻まれている。

中田の型破りな思考を示す有名なエピソードがある。

ローマが優勝を決めた試合の後、あまりにバスの出発が遅いため、彼は「家に帰りたくて仕方がない」と、消防車の運転手に試合で着たユニフォームをプレゼント。

その代わりに彼の運転する消防車に乗せてもらい、帰宅したというのだ。

日本人的な常識に囚われない、こうしたメンタリティこそが、当時のビッグクラブであったローマで彼が輝けた理由の一つであろう。

今回、彼を最終的なベストイレブンから外したのは、ファビオ・カペッロ監督の下でレギュラーではなかったという事実に基づく。

当時のチームにおける彼の位置づけが、あくまで「王子」トッティの控えであったという理由からである。

それでもなお、中田英寿はローマの栄光を語るうえで欠かせない存在である。

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選外黄金期2000-01優勝メンバー14人目 MF クリスティアーノ・ザネッティ イタリア国籍 背番号4

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ザネッティは、豊富な運動量をベースに、鋭いプレスと正確なパスで攻守をつなぐ職人タイプのイタリア人ミッドフィルダーだ。

ケガに悩まされる時期もあったが、2000-2001黄金期ローマには欠かすことのできない存在だった。

彼の物語は、12歳で名門フィオレンティーナの下部組織に入団したところから始まる。

当初は攻撃的なポジションでプレーしていたが、その戦術眼と配球センスを買われ、ボランチへと転向。
この判断が、彼のキャリアを決定づけることになる。

1998年にはインテルに移籍。

しかし、当時のインテルの中盤にはシメオネやパウロ・ソウザといった実力者が揃っており、若きザネッティが出番を掴むのは簡単ではなかった。

その後、カリアリを経てローマへ。MFディ・ビアージョとのトレードという形だったが、結果的にこれはローマにとって大成功の補強となった。

カペッロ監督のもと、ザネッティは2000-01シーズンに27試合出場。

18年ぶりのスクデット獲得に大きく貢献した。

彼は寡黙で、ロッカールームでも決して多くを語らなかったが、ピッチ上での存在感は圧倒的だった。

特にトンマージとのコンビネーションは絶妙で、エメルソン不在の穴を完全に埋めたと評価されている。

この活躍が認められ、2001年の日本との親善試合でイタリア代表デビュー。

この試合では中田英寿も途中出場しており、二人が同じピッチに立った瞬間は今でも忘れられない。

イタリアでは、ザネッティのようにプレスで相手にぶつかり、ボールを奪って流れを作る選手を「インコントリスタ(=ぶつかる人)」と呼ぶ。

まさに彼はその代表格だった。派手さはないが、試合のリズムを整え、攻守の潤滑油となる存在。

今回の「ローマ黄金期メンバー11人」には惜しくも選出しなかったが、ザネッティのような選手がいたからこそ、あの美しいローマのサッカーは完成していたのだ。

静かに、しかし確実にチームを支えた“影の功労者”——それがクリスティアーノ・ザネッティだ。

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