2012年から2014年までプレミアリーグマンチェスターユナイテッドでプレーしていた元日本代表香川真司。
なぜ彼のマンチェスターユナイテッド移籍は失敗だったのか?
振り返っていこうと思う。
マンチェスターユナイテッドで香川はなぜ成功できなかったのか?
香川の驚異的な活躍を受け、イギリスのメディアがこう報道した。
失敗に終わった香川のマンチェスター・U 時代を「呪いの2年」と表現。
しかしながら、ドルトムントで復活を遂げている同選手を「マンチェスター・U のファンは覚えているか? いまだに多くのことを見せることができる」と称賛した。
2アシストの香川を英紙が絶賛「ユナイテッドファンは覚えているか?」 | サッカーキング25日に行われたブンデスリーガ第10節のアウクスブルク戦で、2アシストの活躍をしたドルトムントに所属する日本代表MF香川真司を称賛する声がイギリスメディアであ···
香川の獲得はクリスティアーノ・ロナウドと同じだった?
呪いの2年・・・
たしかに今となってはマンUでの2年間は香川にとって呪いだったかもしれない。
しかしファーガソンがいた1年目は決して呪いではなかった。

香川はファーガソンが自らドイツに飛び、実際に試合をみて獲得を決めた選手である。
しかもあの7番を香川につけてもいいと言ったというのだからその期待値は相当なものだったのがわかる。
これはあのレアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドも同じで、ファーガソンは実際にロナウドのプレーをみて獲得を決めたという。
これはちょうど主力のベッカムがレアルに移籍する時期でもあった。
加入後1年目は及第点の活躍をみせる
少し脱線したので香川の話に戻そう。
香川は加入後すぐにルーニーやファンペルシーと息の合ったコンビネーションをみせる。そして移籍して1年目ながらハットトリックを達成し、
リーグ優勝も経験した。
そして2012-2013シーズンを有終の美で終えたファーガソンは引退を表明。30年近く率いた赤い悪魔の長い監督生活にピリオドを打った。
モイーズが監督になると香川の出場機会は激変
しかし監督がモイーズに代わった翌シーズン、
香川にとって試練の年となってしまう。

モイーズはトップ下を必要としないウイングからのクロスから得点をするという戦術を採用。
結果、サイドでボールを受けても何もできない香川は徐々に出番を失い、ベンチ暮らしが続いてしまう。
当然、試合勘は鈍り、この年のブラジルワールドカップはキレのいいプレーがみられず、1得点もできないままブラジルの地をあとにした。
香川がユナイテッドで成功できなかったのはモイーズに監督が代わったからという理由に尽きる。
ファーガソンが今も指揮を執っていたらルーニーの背後でプレーしてたかも
もし2年目もファーガソンで今も彼が監督をしていたら香川は赤いユニフォームを着て、ルーニーの後ろでプレーしていただろう。

香川はファーガソンに愛されていたし、彼が望むタイプの新しい10番の選手だった。
香川を起用することで古いイングランドのサッカーからマンUを脱却させようとしていたが、やはり年には勝てなかったようで監督業を辞めてしまった。
「もし」今もファーガソンが監督を続けていたら香川は成功できたのかもしれない。
しかしそれは香川だけでなく数多くの名選手たちが監督が交代したことで同じような目にあっている。
香川のこの例はサッカー選手でいる以上、避けては通れない問題なのだ。
ドルトムントで活躍している香川をみるのは楽しい、だが贅沢かもしれないがマンチェスターユナイテッドで歴史に残るようなプレーヤーになってほしかったというのが私の本音である。
マンチェスターユナイテッドで活躍する香川を今もみていたかったのは私だけであろうか。
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