イタリアのミラノに本拠地を置く世界的名門インテル・ミラノ。
その歴史を振り返ると数多くの外国籍選手がインテルに活躍の場を求めている。1990年代にはスタメン11人が別々の国の出身ということもあり、多国籍軍と謳われた時代さえある。
今回はインテルでプレーした歴代レジェンドブラジル人選手、特にその中でもセレソン(ブラジル代表)でも中心メンバーとして活躍した選手を紹介していきます。
歴代ブラジル人選手1ロナウド(1997~2002)「イル・フェノーメノ(超常現象)」
サッカー史上最高の選手の1人
1997-98シーズンオフに1900万ポンドという当時史上最高額となる移籍金でインテルへ加入。
移籍初年度トータルで34ゴールを挙げ、インテルの年間最多ゴール記録を更新した。
また同リーグにおいて1年目の外国人選手としての最多ゴール記録を樹立。この記録は未だに破られていない。
スピード、技術共に申し分なく全盛期のロナウドを止めることは不可能とさえ言われた。緩急を利かした変幻自在のドリブルにディフェンスラインも翻弄され続けたことは間違いない。
しかしロナウドの最大の悲運は右膝靭帯部分損傷の大ケガを負い、手術とリハビリを繰り返し長期の離脱を余儀なくされたことに尽きるだろう。
Embed from Getty Images主な受賞歴
- 史上最年少でのバロンドール受賞
- 二年連続でFIFA最優秀賞選手賞を受賞
歴代ブラジル人選手2ロベルトカルロス(1995~1996)「悪魔の左足」
果敢な攻撃参加によりサイドバックの概念を変えた選手
セリエA移籍後初戦でいきなり直接FKをたたき込み、リーグ2戦目でも浮き球からボレーで得点を決めるなど、好スタートを切ったかに見えた。
しかし監督交代の影響から本来の左サイドバックではなく、左サイドの1列前で起用されることにより本来の持ち味を発揮できずに、わずか1年でカルチョの国での冒険は終焉を迎えた。
Embed from Getty Images時速140キロを超えるキック力を持ち、そのキックは「狂気の弾丸」と呼ばれた。
超攻撃的サイドバックとしてロベカルのオーバーラップには相手選手からすれば脅威だったに違いない。
1996年のアトランタ五輪の日本戦にも出場している。
長い助走から繰り出されるキャノン砲は壁に入った選手の頭部に当たれば失神してしまうほどの破壊力。太ももの太さは脅威の63㎝。
歴代ブラジル人選手3アドリアーノ(2001~2002/2004~2009)「皇帝(エンペラー)」
パルマ時代には中田英寿とプレー
アドリアーノは過去に2度インテルに移籍しているが最初に移籍したのが2001年8月となる。
インテル入団後のプレシーズンマッチではいきなり、持ち味のフィジカルを活かしたプレーを見せ、フリーキックで時速105kmの強烈なシュートをゴールに突き刺し周囲に印象付けた。
1度レンタルに出された後の2003-2004年1月にインテルに再び移籍した。
インテル復帰後の最初の半年間では、リーグ戦16試合で9ゴールを挙げた。
翌2004-05シーズンは公式戦で28ゴールを挙げ、チームもカップ戦を制するなど、ヨーロッパでのトップストライカーとしての地位を確立した。
アドリアーノのプレースタイルといえば何といっても恵まれた体躯を活かしたパワフルなプレーがとても印象的である。
スピードこそそれほどないが、ミドルレンジからの強烈な弾丸シュートをブロックするのはイタリアの地でも至難の業であったに違いない。
Embed from Getty Imagesブラジル代表としても当時18歳の2000年に初招集を受けると、コパ・アメリカ2004ではチームを優勝に導き自身も得点王とMVPを獲得している。
更に翌年に開催されたFIFAコンフェデレーションズカップでも優勝し、この時も得点王とMVPに輝いている。
アドリアーノにとってはまさにキャリアの絶頂期となった時代でもある。
歴代ブラジル人選手4マクスウェル(2006~2009)
2006~2007シーズンの冬のメルカートで移籍期限ギリギリにインテルに加入。
ブラジル人のサイドバックといえば攻撃的な選手を数多く輩出しているが、マクスウェルも例外になく攻撃的サイドバックと言えるだろう。
上背は176センチとそれほど高くはないが、左足の技術とスピードに乗ったプレースタイルはサイドバックの選手としては傑出しているのではないか。
特に2006-07シーズンに挙げた唯一のゴールは、その動きはまるでアルゼンチン代表FWリオネル・メッシを彷彿とさせる見事なゴールであった。
Embed from Getty Imagesマクスウェルはタッチラインを割りそうになったボールをギリギリのところでキープ。
勢いでライン外に飛び出すが第4審判とぶつかりそうになりながら入れ替わり、相手DFの股間を通して抜き去る。
一度味方FWにボールを預け、そのまま駆け上がり相手ゴール近くまで攻撃参加。
当時FWの位置でプレーしていたクレスポからパスを受けると、ペナルティーエリア内に侵入し相手DF3人に囲まれた狭いエリアを細かいボールタッチで3人をかわし、左足で強烈なシュートをゴールに突き刺した。
歴代ブラジル人選手5ゼ・エリアス(1997~1999)
ゼ・エリアスという選手については馴染みが薄い人も多いのではないでしょうか。
インテルでの在籍期間も2年でレギュラーとしてコンスタントに試合に出ていたというよりは、バックアッパーとして活躍していた印象が強い選手である。
当時のインテルには同じポジションにはアルゼンチン代表のシメオネやコウエといった選手がファーストチョイスになっていたためだ。
それでも途中出場した試合では、その左の技術やセンスはピカイチであり、中盤でバランスを取りながらブラジル人らしい堅実なプレースタイルを披露。
またゼ・エリアスは脚光を浴びる経歴の持ち主だ。当時16歳という最年少でプロデビューを飾ると、19歳でブラジル代表に選出されている。
また同胞のロナウドやロベカルとともにアトランタ五輪に出場して銅メダル獲得に貢献。代表キャップも22試合出場という実績もある選手なのだ。
Embed from Getty Imagesまとめ
ここまでインテルで活躍した主なレジェンドブラジル人選手を紹介させて頂きましたが南米の選手にとってイタリアの地は気候的にはプレーし易い環境だと言われている。
しかし守備偏重と言われているイタリアサッカーにおいて前線の選手にとっては厳しいマークに合うのは否めないことであろう。
ロナウドに関しては常にケガとの戦いを強い要られ、ロベルトカルロスに関してはポジションを前線に上げられたことによって順応できず、1年でイタリアの地を去ることになったというように、一級線の選手も活躍できないのがセリエAという舞台。
当時ブラジル人選手の市場はイタリア・セリエAを主戦場として、代表選手もイタリアの地に活躍の場を求めたが、時代とともに市場の変化も金満クラブに選手の流通が集中している。
1990年代から2000年代初頭にかけて世界最強リーグと謳われたセリエAも、現在ではプレミアリーグやリーガエスパニョーラの後塵を拝している。
衰退したセリエAの中でもインテルは過去5年でチャンピオンズリーグ決勝に進出してはいるが、金満クラブのマンC、PSGに敗れている。
またここ数年のセリエAは前線のブラジル人選手の供給は減少しつつある。
今後かつての隆盛を取り戻し、ブラジル人選手が躍動することを期待したい。
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