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ジダン在籍90年代後半歴代最強ユベントス黄金期メンバー8人とは?

コラムまとめ
この記事は約28分で読めます。

クラブ創設 1897年 / 本拠地  トリノ / ホームスタジアム アリアンツ・スタジアム / 収容人数  41507人 /クラブカラー 白・黒 / セリエA優勝回数 36回

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この記事を書いたライター
トムマージ

元サッカー経験者のヨーロッパサッカー好きライター。
サッカー経験15年。かなりガチでやってました。
現在は観戦専門です。特にヨーロッパサッカーが好きで、中でもイタリアセリエAの大ファンで観戦経験もあり。
好きなクラブ:ラツィオ、パルマ、インテルなど。
得意な執筆内容/移籍情報/クラブ黄金期メンバー/歴代ベストイレブン/選手紹介/代表戦も大好物。エッセイ風の記事にも挑戦してみたい。
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  1. ユベントスの本拠地でもあるトリノの街とは
    1. イタリア北部の名門都市トリノ
  2. ユベントスのエンブレムとその意味
  3. 名門ユベントスというクラブ
  4. イタリアダービーとトリノダービー
  5. ユベントス黄金期メンバー1人目 MF ジネディーヌ・ジダン 在籍期間 1996~2001 フランス代表
    1. ユベントスの至宝 ― ジネディーヌ・ジダン
    2. 少年ジズー、そしてプロへの第一歩
    3. トリノで咲いた才能 ― ユベントス時代
    4. 栄光とスペインへ旅立ち、そして伝説へ
  6. ユベントス黄金期メンバー2人目 GK アンジェロ・ペルッツィ 在籍期間 1991~1999 イタリア代表
    1. 鉄壁の守護神:アンジェロ・ペルッツィ
  7. ユベントス黄金期メンバー3人目 DF パオロ・モンテーロ 在籍期間 1996~2005 ウルグアイ代表
    1. 闘将センターバック:パオロ・モンテーロ
  8. ユベントス黄金期メンバー4人目 MF アントニオ・コンテ 在籍期間 1991~2004 イタリア代表
    1. アントニオ・コンテ──闘将が築いた勝利の哲学
    2. コンテがユベントス在籍時に獲得した主なタイトル
  9. ユベントス黄金期メンバー5人目 MF ディディエ・デシャン 在籍期間 1994~1999 フランス代表
    1. ディディエ・デシャン ― 監督の分身と呼ばれた男
  10. ユベントス黄金期メンバー6人目 MF エドガー・ダービッツ 在籍期間 1997~2004 オランダ代表
    1. エドガー・ダービッツ ― ゴーグルの戦士、「オランダの心臓」
    2. エドガー・ダービッツ ― 闘魂のゴーグル、ユベントスの「黒い獅子」
  11. ユベントス黄金期メンバー7人目 FW フィリッポ・インザーギ 在籍期間 1997~2001 イタリア代表
    1. 「スーペル・ピッポ」――フィリッポ・インザーギ、ゴールに愛された男
  12. ユベントス黄金期メンバー8人目 FW アレッサンドロ・デルピエロ 在籍期間 1993~2012 イタリア代表
    1. アレッサンドロ・デル・ピエロ ― ユベントスの象徴「バンディエラ」
    2. ユベントス加入と10番の継承
    3. 黄金期「デルピッポ」とジダンの共演
    4. カルチョポリと不屈のリーダーシップ
    5. その後とレジェンドの証
  13. ユベントスの10番を継承した原石「ケナン・ユルディズ」とは

ユベントスの本拠地でもあるトリノの街とは

イタリア北部の名門都市トリノ

イタリア北部に位置するトリノは、人口約86万人を誇るイタリア第4の都市。
街並みには王国時代の面影が今も残り、歴史と文化が息づいている。

王宮(リソルジメント時代のサヴォイア家の王宮)をはじめ、ローマ遺跡の上に建つマダマ宮殿、カリニャーノ宮殿、聖骸布教会、そしてリヴォリ城など、数多くの歴史的建造物が観光名所として名を連ねている。

また、トリノの食文化を語る上で外せないのが、老舗カフェ「Caffé al Bicerin」。

この店の名を冠したチョコレートドリンク「ビチェリン」は、地元の名物として古くから親しまれており、現在では街中のさまざまなカフェで個性豊かなビチェリンが提供され、観光客の人気を集めている。

もしイタリアを訪れる機会があれば、歴史の街トリノを歩きながら、ユベントスの本拠地アリアンツ・スタジアムの白と黒の輝きを横目に、ぜひこの街の奥深い魅力を堪能してみたい。

ユベントスのエンブレムとその意味

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2017年、ユベントスは長年親しまれてきたクラシックなロゴから、大胆に一新した。

現在のエンブレムは、クラブ名「JUVENTUS(=若者たち、若さ)」を象徴するアルファベットの「J」をモチーフにしたシンプルなデザイン。

これは伝統と革新の融合を示すものであり、クラブの象徴としてだけでなく、グッズやアパレル商品にも展開されるなど、ブランド戦略の一環としても注目を集めている。

名門ユベントスというクラブ

イタリア・セリエAの中で、ジェノアFCに次ぐ歴史を誇る名門クラブがユベントスだ。

セリエA優勝36回、コッパ・イタリア優勝15回と、国内タイトル数はどちらも最多を誇る。

さらに国際舞台でも数々の栄冠を手にしてきた。

トヨタカップ(現クラブワールドカップ):2回

UEFAチャンピオンズリーグ:2回

UEFAカップウィナーズカップ:1回

UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ):3回

UEFAスーパーカップ:2回

UEFAインタートトカップ:1回

チームの愛称「ビアンコネーロ(Bianconero)」は、白と黒を意味するイタリア語であり、伝統の縦縞ユニフォームの色に由来している。

イタリアダービーとトリノダービー

ユベントスは、インテルと並びセリエB降格経験のないクラブとして知られるが、2006–07シーズンには不正疑惑「カルチョポリ」により、唯一の降格処分を受けた歴史がある。

それでもなお、ユベントスとインテルの対戦は「イタリアダービー」として特別な意味を持ち続けている。

また、同じトリノの街に本拠地を置くトリノFCとの一戦は「トリノダービー」と呼ばれ、イタリア国内最古のダービーマッチとして知られる伝統の一戦だ。

クラブの歴代最強ともいえる黄金期時代を築いた90年代のユベントス

1990年代初頭、フランス代表の至宝「ジズー」ことジネディーヌ・ジダンを迎え入れたユベントスは、まさに黄金期を迎える。

巧みな戦術と個の力が融合したその時代は、イタリアのみならずヨーロッパサッカーの象徴でもあった。

本稿では、そのユベントス黄金時代の歩みを振り返りながら、サッカー史に名を刻んだ彼らの強さと美しさを紐解いていきたい。

ユベントス黄金期メンバー1人目 MF ジネディーヌ・ジダン 在籍期間 1996~2001 フランス代表

国籍 フランス / 生年月日 1972年6月23日 / 身長 185㎝ / 体重 80㎏

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ユベントスの至宝 ― ジネディーヌ・ジダン

歴代最強ユベントス黄金期メンバー1人目はジダンである。

「ジダン」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、スキンヘッドでチャンピオンズリーグ3連覇を成し遂げた、あのレアル・マドリードの名将の姿かもしれない。

だが、監督として成功するずっと前、彼はピッチの上で“芸術を生み出す男”として世界を魅了していた。

選手としてのジダンは、「サッカー史上最高の選手の一人」と称され、クラブでも代表でも数々のタイトルと栄光を手にした稀代の天才だった。

ジダンの代名詞といえば、何よりもその卓越したボールタッチ。

どんなパスであろうと、足元で吸い込むようにピタリと止めてしまうトラップ技術はまさに神業。

ハイボールでもライナーでも、まるで足に吸盤がついているかのようにボールを操る。

そして、彼が繰り出す「マルセイユ・ルーレット」や「シザース」は、サッカーを超えて“芸術”と呼ぶにふさわしいものだった。

どれほど強靭なDFであっても、彼のドリブルを止めるには2人、3人がかりで挑むしかなかった。

少年ジズー、そしてプロへの第一歩

1972年、フランス南部のマルセイユで生まれたジネディーヌ・ジダン。

7人兄弟の末っ子として育ち、5歳の頃から兄たちに混ざってボールを蹴り始めた。

9歳で地元クラブに所属すると、その才能は瞬く間に頭角を現す。

16歳でカンヌにてプロデビュー(1988-89シーズン)を果たし、4シーズン在籍。

1992年にはボルドーへ移籍し、移籍初年度から主力としてリーグ戦35試合10ゴールを記録。

1995-96シーズンにはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)でミランを撃破して準優勝に貢献し、その名をヨーロッパ全土に轟かせた。

この活躍がユベントスの首脳陣の目に留まり、「フランスの至宝ミシェル・プラティニの後継者」として1996年、トリノへと渡る。

トリノで咲いた才能 ― ユベントス時代

当時の指揮官マルチェロ・リッピは、イタリアの戦術に馴染めずにいたジダンのため、最適なポジションを模索。

やがてトップ下(1.5列目)で起用されたことで真価を発揮し、ユベントスの攻撃の心臓としてチームを牽引していく。

加入初年度の1996-97シーズンには、リーグ戦29試合5ゴールを記録。

スクデット(リーグ優勝)を獲得し、自身初のタイトルを手にした。

翌97-98シーズンにはセリエAを連覇し、チャンピオンズリーグでも2年連続で決勝へ進出。

惜しくも連覇はならなかったが、その存在感はヨーロッパ全体を席巻していた。

ジダンが操る前線にはデル・ピエロとインザーギ。

その背後を支えたのは、フランス代表のデシャン、そしてオランダ代表の闘将ダービッツという最強のダブルボランチ。

この布陣こそ、1990年代後半の“黄金期ユベントス”を象徴するトリデンテだった。

ジダン在籍中の主なタイトル:

セリエA:1996-97, 1997-98

スーペルコッパ・イタリアーナ:1997

UEFAスーパーカップ:1996

インターコンチネンタルカップ:1996

UEFAインタートトカップ:1999

そして個人としても、FIFA最優秀選手賞、バロンドール、UEFA年間最優秀MF賞、セリエA最優秀選手賞など、数々の栄誉を受けている。

栄光とスペインへ旅立ち、そして伝説へ

ユベントスで5シーズンを過ごした後、ジダンは新たな挑戦を求めてスペインへ。

2001年、レアル・マドリードに移籍し、初年度の2001-02シーズンに念願のチャンピオンズリーグ制覇を達成。

決勝で見せた左足のボレーは、今なおCL史に残る伝説の一撃として語り継がれている。

2006年のワールドカップ・ドイツ大会を最後に現役を引退。

その後、2016年にレアル・マドリードの監督に就任すると、史上初となるCL3連覇を達成。

プレイヤーとしても、監督としても頂点を極めた、まさに“勝者にして芸術家”である。

現在は監督業から一線を退いているが、フランス代表(レ・ブルー)の監督就任が常に噂されている。

しかし筆者としては――いつの日か、彼が再びトリノの地に戻り、ユベントスのベンチに立つ姿を見たい。

ビアンコネーロの象徴として、再びクラブを頂点へ導く日が来ることを、心から願っている。黄金期をもたらしてくれることを願いたい。

ユベントス黄金期メンバー2人目 GK アンジェロ・ペルッツィ 在籍期間 1991~1999 イタリア代表

国籍 イタリア / 生年月日 1970年2月16日 / 身長 181㎝ / 体重 88㎏

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鉄壁の守護神:アンジェロ・ペルッツィ

歴代最強ユベントス黄金期メンバー2人目はペルッツィである。

ペルッツィのプロキャリアは、1986-87シーズンにASローマで幕を開けた。

レンタル移籍を挟みながら5年間在籍したものの、当時は出場機会に恵まれず、1991-92シーズンに控えGKとしてユベントスへ加入する。

しかし、その堅実なプレーはすぐに評価され、移籍2年目には正守護神の座を確立。

以後8シーズンにわたり、ビアンコネーロ(白と黒)のゴールマウスを守り続けた。

現代サッカーでは、ゴールキーパーに190センチを超える大型選手が多い中、ペルッツィの身長は181センチと比較的小柄だ。

たとえば現イタリア代表のドンナルンマ(196cm)や、日本代表の鈴木彩艶(191cm)と比べても、その差は明白だ。

しかし彼は、恵まれた体格に頼らず、屈強なフィジカルと抜群のポジショニング、反射神経でゴールを死守した。

ペルッツィの真骨頂は、派手さよりも安定感を重視した守備にある。

その筋肉質な体格から「鉄の壁(La Muraglia di Ferro)」と呼ばれ、体全体を使って相手の強烈なシュートを止める姿はまさに職人の域だった。

彼のキャリア最大のハイライトは、1995-96シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝。

アヤックスとの死闘はPK戦に突入し、ペルッツィは2本のシュートをセーブ。

ユベントスを11年ぶりの欧州制覇へ導く立役者となった。

以降、チロ・フェラーラ、マルク・ユリアーノ、パオロ・モンテーロらとともに、当時「世界最強」と評された守備陣を形成。

ペルッツィはその中心として、ユベントス黄金期を支え続けたのである。

ユベントス黄金期メンバー3人目 DF パオロ・モンテーロ 在籍期間 1996~2005 ウルグアイ代表

国籍 ウルグアイ・スペイン / 生年月日 1971年9月3日 / 身長 178㎝ / 体重 74㎏

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闘将センターバック:パオロ・モンテーロ

歴代最強ユベントス黄金期メンバー3人目はモンテーロである。

1990-91シーズン、母国ウルグアイの名門ペニャロールでプロデビューを果たしたモンテーロは、
2年後の1992-93シーズンにセリエAのアタランタBCへ移籍し、ヨーロッパの舞台に初上陸する。

アタランタでは4シーズンで公式戦114試合に出場。屈強なディフェンスと闘志あふれるプレースタイルが高く評価され、
1996-97シーズンに名門ユベントスへと引き抜かれることになる。

身長178センチとDFとしては決して大柄ではないが、モンテーロの真価はその“闘争心”にある。

1対1の対人プレーにおける粘り強さ、身体を惜しまず飛び込むタックル、そしてチームを鼓舞する気迫。

まさに「闘将」「守備の魂」と呼ぶにふさわしい存在で、スター選手が揃うユベントスにおいても、
攻守のバランスを支える“戦士型センターバック”としてチームの土台を担った。

その一方で、熱すぎる性格が災いし、セリエA最多退場記録保持者という不名誉な側面も持つ。

それでも彼が見せた闘志と献身はサポーターの心を掴み、在籍8シーズンで公式戦186試合に出場。

ユベントスではセリエA優勝4回(スクデット)をはじめ数々のタイトル獲得に貢献した。

またウルグアイ代表としても2002年の日韓ワールドカップに出場し、代表通算60試合5得点という記録を残している。

まさに、90年代後半から2000年代初頭にかけてのユベントス黄金期を陰で支えた“南米の闘将”である。

ユベントス黄金期メンバー4人目 MF アントニオ・コンテ 在籍期間 1991~2004 イタリア代表

国籍 イタリア / 生年月日 1969年7月31日 / 身長 178㎝ / 体重 73㎏

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アントニオ・コンテ──闘将が築いた勝利の哲学

歴代最強ユベントス黄金期メンバー4人目はアントニオ・コンテである。

アントニオ・コンテと聞くと、元イタリア代表監督、あるいは現ナポリ監督としての印象を持つ人が多いだろう。

だが、その成功の原点は、現役時代のプレースタイルと情熱にこそある。

1985-86シーズン、地元クラブのUSレッチェでプロデビュー。

6シーズンを経て、1991-92シーズンに名将ジョバンニ・トラパットーニ率いるユベントスへ加入する。

当時からコンテは、華麗なテクニックよりも「戦う姿勢」でチームを引っ張るタイプだった。

同僚だったジネディーヌ・ジダンが「コンテの闘志がチームに火をつけた」と語ったように、
そのリーダーシップと献身的な姿勢は、ユベントスの黄金期を支える原動力となった。

コンテはユベントスの“心臓”として、常に全力でピッチを駆け、味方を鼓舞し続けた。

キャプテンマークを巻き、勝利への執念を体現したその姿勢は、クラブの象徴でもあった。

2003-04シーズンに引退するまでの13シーズンで公式戦296試合に出場し、数々のタイトルを獲得している。

コンテがユベントス在籍時に獲得した主なタイトル

  • セリエA:5回(1994-95, 1996-97, 1997-98, 2001-02, 2002-03)
  • コッパ・イタリア:1回(1994-95)
  • UEFAチャンピオンズリーグ:1回(1995-96)
  • UEFAカップ:1回(1992-93)
  • スーペルコッパ・イタリアーナ:4回(1995, 1997, 2002, 2003)
  • インターコンチネンタルカップ:1回(1996)
  • UEFAスーパーカップ:1回(1996)
  • UEFAインタートトカップ:1回(1999)

引退後はすぐに指導者の道へ進み、2006-07シーズンにセリエBのアレッツォで監督デビュー。

その後、バーリ、アタランタ、シエナとプロヴィンチャ(地方クラブ)を渡り歩きながら指導者としての基礎を固めた。

2011-12シーズン、古巣ユベントスの監督に就任すると、わずか1年目でチームを無敗優勝に導きスクデットを奪還。

その後も3連覇を達成し、2013-14シーズンに記録した勝ち点102は当時の欧州新記録だった。

2014年にユベントスを退任後はイタリア代表監督に就任し、UEFAユーロ2016ではベスト16までチームを導いた。

その後はクラブ監督として再び欧州を舞台に活躍し、チェルシーでプレミアリーグとFAカップを制覇、
インテルではセリエAを制覇し、トッテナムでも戦術的な手腕を発揮。

そして2024-25シーズン、ナポリの指揮官としてスクデット獲得に成功。

現在は続投を決意し、2年目のシーズンに挑んでいる。

その情熱と勝利への執念は衰えを知らない。

来シーズン(2026-27シーズン)、コンテは再びセリエAを揺るがす存在となるのだろうか──。

以降も是非ナポリに留まりセリエA連覇やチャンピオンズリーグでも上位進出し、ナポリに黄金時代をもたらしてくれることを願いたいものだ。

ユベントス黄金期メンバー5人目 MF ディディエ・デシャン 在籍期間 1994~1999 フランス代表

国籍 フランス / 生年月日 1968年10月15日 / 身長 174㎝ / 体重 71㎏

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ディディエ・デシャン ― 監督の分身と呼ばれた男

歴代最強ユベントス黄金期メンバー5人目はデシャンである。

1985-86シーズン、フランスのナントでプロデビューを飾ったデシャンは、1989-90シーズンに名門マルセイユへ移籍。

リーグ・アン2度の優勝とUEFAチャンピオンズカップ(現CL)制覇を経験し、ヨーロッパの舞台で名を馳せた。

その活躍が認められ、1994-95シーズンにはユヴェントスに加入。以降、90年代の黄金期を象徴する存在へと成長していく。

彼のプレースタイルは華やかな攻撃型ではなく、チーム全体の秩序とバランスを保つ“戦術的舵取り役”。

カバーリング、守備的インテリジェンス、そして監督の意図を即座にピッチで体現する能力はまさに「監督の分身」と称された。

中盤ではダービッツ、コンテとともに鉄壁のトリオを形成。

彼らがいたからこそ、トップ下のジダンが守備の負担を免れ、創造性を最大限に発揮できたと言っていい。

ユヴェントス時代には3度のセリエA制覇、コッパ・イタリア優勝、そして1995-96シーズンのチャンピオンズリーグ制覇とトヨタカップ制覇を達成。

まさに栄光の時代を築いた。

代表でも輝かしい功績を残す。

1998年のフランスW杯ではキャプテンとして母国を初の世界一へ導き、ユーロ2000でも頂点に立った。

2000-01シーズン、バレンシアで現役を引退した後、同年ASモナコの監督に就任。

監督2年目にはリーグ2位、そして03-04シーズンにはCL準優勝と手腕を発揮する。

さらに、カルチョ・スキャンダルでセリエBに降格したユヴェントスを指揮し、わずか1年でセリエAへ復帰させるという偉業も達成。

その後マルセイユでもリーグ優勝を経験し、2012年にはフランス代表監督に就任。

以降、10年以上にわたる長期政権を築き、2018年ロシアW杯では再びフランスを世界一へ導いた。

そして2026年北中米W杯を最後に退任を表明。後任には盟友ジダンの名前が挙がっている。

デシャンからジダンへ――ユヴェントス黄金期メンバーで代表監督のバトンが引き継がれる可能性は、サッカーファンにとってこの上ないロマンである。

ユベントス黄金期メンバー6人目 MF エドガー・ダービッツ 在籍期間 1997~2004 オランダ代表

国籍 オランダ・スリナム / 生年月日 1973年3月13日 / 身長 168㎝ / 体重 68㎏

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エドガー・ダービッツ ― ゴーグルの戦士、「オランダの心臓」

歴代最強ユベントス黄金期メンバー6人目はダービッツである。

1990年代初頭、ピッチの中央でゴーグルを輝かせながら縦横無尽に動き回る小柄な男がいた。

身長168センチと決して体格には恵まれなかったが、驚異的なスタミナと強靭なフィジカル、そして誰よりも激しく戦う姿勢でチームを鼓舞した――その名はエドガー・ダービッツ。

「オランダの心臓」と称された彼のプレースタイルは、まさに“ボックス・トゥ・ボックス”の象徴。

守備で相手の攻撃を潰せば、次の瞬間には自ら前線へボールを運ぶ。

攻守をつなぐそのダイナミズムは、チームのリズムを支配する心臓の鼓動そのものだった。

1991-92シーズン、オランダの名門アヤックスでプロデビュー。

育成年代から注目されていたダービッツは、わずか20歳で欧州の頂点に立つ。

1994-95シーズン、パトリック・クライファート、デブール兄弟、セードルフら黄金世代とともにUEFAチャンピオンズリーグを制覇。

さらにリーグ3連覇も達成し、アヤックス黄金期の中核として存在感を放った。

闘志、スタミナ、そして勝利への執念――。

彼のプレーは単なる中盤の1人ではなく、「戦う魂」そのものだった。

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エドガー・ダービッツ ― 闘魂のゴーグル、ユベントスの「黒い獅子」

アヤックスでの圧倒的なパフォーマンスがヨーロッパ中を震撼させたダービッツは、1996-97シーズンに名門ACミランへと引き抜かれる。

しかし、新天地イタリアではその闘志が空回りする。

チーム戦術への適応に苦しみ、フロント陣との確執やピッチ外のトラブルも重なり、わずか15試合出場・ノーゴールに終わる。

だが、挫折の後にこそ“本物の闘将”は生まれる。

1997-98シーズン途中、ダービッツはユベントスへと活躍の舞台を移す。

ここから彼のキャリアは再び輝きを取り戻すことになる。

ちょうどその頃、彼は緑内障を患い、視力を守るために手術を決意。

術後に着用した防護ゴーグルは、やがて「戦う闘志の象徴」として世界中に知られるトレードマークとなった。

1998-99シーズン開幕戦、ペルージャ対ユベントス。

ベルマーレ平塚(現湘南)から移籍した日本代表・中田英寿との初対戦の日である。

雨のレナート・クーリ・スタジアムに2万5000人の観客が詰めかけ、報道陣のカメラは中田に向けられた。

ユベントスの先発には、ダービッツをはじめデル・ピエロ、インザーギ、そしてジダン。

まさに銀河系のような布陣。

前半23分、ダービッツの強烈な左足が炸裂しユベントスが先制。前半を0-3で折り返す。

だが後半、中田が魅せた。立て続けに2ゴールを奪い、スタジアムの空気を一変させる。

試合は激戦の末、ユベントスが4-3で辛勝。

試合後、ダービッツは中田に歩み寄り、笑顔でこう言葉をかけたという。

「お前は本当に日本人か? 偶然でユベントスから2ゴールは奪えない。中田は本物だ。」

この瞬間、ダービッツはセリエAで最初に中田英寿の才能を認めた選手となった。2人の友情はその後も続いていく。

ユベントスでの6シーズン、彼は159試合に出場し8ゴールを記録。

3度のスクデット、2度のCL準優勝に貢献し、間違いなくキャリアの絶頂期を過ごした。

闘志、忠誠、そして誇り。

ダービッツこそ、90年代後半ユベントスを象徴する「魂の戦士」であった。

ユベントス黄金期メンバー7人目 FW フィリッポ・インザーギ 在籍期間 1997~2001 イタリア代表

国籍 イタリア / 生年月日 1973年8月9日 / 身長 181㎝ / 体重 74㎏

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「スーペル・ピッポ」――フィリッポ・インザーギ、ゴールに愛された男

歴代最強ユベントス黄金期メンバー7人目はインザーギである。

「オフサイドポジションで生まれた男」

マンチェスター・ユナイテッドの名将アレックス・ファーガソンが、かつてそう評したストライカーがいる。

その名は、フィリッポ・インザーギ。ゴールを嗅ぎ分ける嗅覚と、一瞬の抜け出しで相手DFを翻弄する天性のゴールハンターである。

プロキャリアの始まりは、セリエBのピアチェンツァ。

レッフェ、エラス・ヴェローナへのレンタルを経て、パルマに加入するも、

当時のパルマは前線にアスプリージャ、ゾラ、ストイチコフといったワールドクラスの選手が揃っており、若きインザーギには出場機会が限られた。

しかし、1996-97シーズン、アタランタに移籍した彼の才能が一気に開花する。

持ち味のポジショニングと決定力を武器に、セリエAで24ゴールを叩き出し、見事得点王に輝いた。

その活躍は名門ユベントスの目に留まり、翌シーズンには念願のビアンコネーロ入りを果たす。

当時のユベントスは、デル・ピエロ、ボクシッチ、ビエリら錚々たるメンバーを擁していたが、ビエリとボクシッチの退団により、新たな2トップ「デルピッポ」が誕生する。

デル・ピエロの創造性、インザーギの決定力、そしてジダンの魔法のようなラストパス。

このトリデンテは瞬く間にセリエAを席巻し、ユベントスをリーグ2連覇へと導いた。

ユベントス在籍4シーズンで毎年2桁得点を記録したインザーギだが、2001-02シーズンにフランス代表トレゼゲの加入によって出場機会が減少。

2001年夏、舞台をミランへ移す。
この決断が、彼のキャリアを伝説へと昇華させることになる。

ACミランでの11シーズン、インザーギは勝負強さを存分に発揮する。

2002-03シーズン、そして2006-07シーズン――2度のチャンピオンズリーグ制覇に貢献。

特に2007年の決勝・リヴァプール戦での2ゴールは、彼のキャリアを象徴する名場面として今も語り継がれている。

イタリア代表としても1998年フランス大会から3大会連続でワールドカップに出場。

2006年ドイツ大会では、母国に4度目の栄冠をもたらしたチームの一員として世界の頂点に立った。

代表通算56試合24ゴール――彼がどれほど“ゴールに愛された男”であったかを物語る数字である。

現役引退後は指導者として9つのクラブを渡り歩き、現在はセリエBのパレルモを率いる。

監督としては兄シモーネ・インザーギ(現インテル監督)のような成功にはまだ届いていない。

だが、ゴール前で諦めなかった“スーペル・ピッポ”のように、再び頂点を目指して戦い続けている。

彼の目の前には、まだいくつものゴールが待っている。

ユベントス黄金期メンバー8人目 FW アレッサンドロ・デルピエロ 在籍期間 1993~2012 イタリア代表

国籍 イタリア / 生年月日 1974年11月9日 / 身長 173㎝ / 体重 73㎏

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アレッサンドロ・デル・ピエロ ― ユベントスの象徴「バンディエラ」

歴代最強ユベントス黄金期メンバーの最後8人目はデル・ピエロだ。

「アレックス」ことアレッサンドロ・デル・ピエロは、1993年から19シーズンにわたりユベントス一筋でプレーした、生ける伝説である。

主将として11シーズンにわたりチームを牽引し、クラブ史上最多となる出場数と得点数を誇る「バンディエラ(旗頭)」として数々の栄光を築いた。

イタリア代表としてもW杯3大会連続出場、EUROには4大会出場。

代表通算91試合で27ゴールを挙げたそのキャリアは、まさに栄光と誇りの象徴だ。

創造性に満ちたプレースタイルは「ファンタジスタ」の代名詞。

左45度の位置からファーサイドに巻くシュート――通称「デル・ピエロ・ゾーン」から放たれる一撃は、世界中のサッカーファンを魅了した。

ユベントス加入と10番の継承

デル・ピエロは1991–92シーズン、当時セリエBのパドバでプロデビュー。

2年後の1993–94シーズンにユベントスへ移籍し、セリエAデビューを果たす。

加入初年度こそ出場機会は限られたが、翌シーズンには主力に定着し、リーグ戦28試合で8ゴールをマーク。

セリエA優勝、コッパ・イタリア制覇、そしてUEFAカップ準優勝と飛躍の年となった。

1995–96シーズンには、ミッシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョと受け継がれてきたユベントスの背番号10を引き継ぐ。

この重みある番号を背負ったデル・ピエロは躍動し、チャンピオンズリーグで6得点を記録。

ユベントスは悲願の欧州制覇を成し遂げ、彼は一躍世界的スターへと上り詰めた。

黄金期「デルピッポ」とジダンの共演

1997–98シーズン、アタランタからフィリッポ・インザーギが加入。

デル・ピエロとインザーギ、そしてジダンが形成した“トリデンテ”は、世界最強の攻撃ユニットとして称賛された。

「デルピッポ」の連携からユベントスはリーグ連覇を達成し、CLでも決勝進出。

惜しくもレアル・マドリードに敗れたが、その完成度は他クラブを寄せつけなかった。

後方にはフェラーラ、ユリアーノ、モンテーロ、ペッソットの堅守。

中盤にはデシャン、ダービッツ、コンテの“鉄壁トライアングル”。

攻守にわたって世界最高水準のチームだったことは、誰もが認める事実だ。

カルチョポリと不屈のリーダーシップ

2006–07シーズン、クラブは不正疑惑「カルチョポリ」によりセリエB降格という屈辱を味わう。

スター選手たちが次々と退団する中、デル・ピエロは誰よりも早く残留を表明。

崩壊寸前のチームを支え、見事1年でのセリエA復帰を果たしたその姿は、まさに“ユベントスの魂”そのものだった。

その後とレジェンドの証

ユベントス在籍19シーズンで通算705試合・290ゴール。

数々のタイトルと苦難の歴史を共に歩んだ彼こそ、真のクラブレジェンドだ。

退団後はオーストラリアのシドニーFC、インドのデリー・ディナモスを経て、2014年に現役を引退。

彼が放った数々の美しいゴール、そして誇り高き振る舞いは、今もなお世界中のファンの心に刻まれている。

ユベントスの10番を継承した原石「ケナン・ユルディズ」とは

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2025-26シーズン現在、ユベントスの背番号10を背負うのは、若干20歳の新星ケナン・ユルディズだ。

トルコとドイツ、2つのルーツを持つユルディズは、2012-13シーズンにドイツの名門バイエルン・ミュンヘンのユースチームに加入。

そして2022-23シーズン、満を持してユベントスユースへと移籍を果たした。

2023-24シーズンにはトップチームでセリエAデビューを飾り、初先発の試合でリーグ戦初ゴールを記録。

この得点は、ユベントスの外国籍選手として史上最年少ゴール記録となった。

翌2024-25シーズンには、ミッシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロと継承されてきた“栄光の背番号10”を、19歳という若さで受け継ぐことになる。

トルコ代表としても早くから頭角を現し、2023年にデビューすると、わずか20歳にして代表通算25試合出場を記録。

現在の市場価値は5,000万ユーロとも言われ、欧州でも最注目の若手アタッカーの一人だ。

ユルディズは、現代サッカーでは希少となった“生粋のファンタジスタ”。

ユベントスでは2シャドーの一角を担っているが、本来の持ち味はトップ下でこそ最大限に発揮される。

細やかなタッチとスピードに乗ったドリブルは異次元の領域にあり、その動きを止めることはもはや不可能に近い。

そして――2025-26シーズン、ケナン・ユルディズはさらなる進化を遂げ、覚醒の時を迎えるだろう。

ユベントスの新たな旗頭として、クラブの未来を担う存在へ。

その一挙手一投足から、かつてのデル・ピエロのような輝きを感じずにはいられない。

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