クラブ創設 1909年 / 本拠地 ボローニャ / ホームスタジアム レナト・ダッラーラ / 収容人数 38279人 /クラブカラー 赤・紺 / セリエA優勝回数 7回
Embed from Getty ImagesセリエA優勝7回を誇るボローニャとは
ボローニャはイタリア北部にある都市にあるクラブで、1909年に創設された。
過去セリエA優勝7回を誇るボローニャではあるが、最後に優勝したのは1963–64シーズンとかなり昔のことだ。
セリエA創世記こそ上位進出し優勝争いに絡んでいたが、1980年代になると徐々に失速して行くことになる。
以後は、セリエAとセリエBの昇降格を繰り返すエレベータークラブのような立ち位置で、近年のセリエAでも中位以下の順位に甘んじていたが、2023-24シーズンにはセリエAを5位フィニッシュすると、翌年のチャンピオンズリーグには60年ぶりの出場を果たす。
更にその年のコッパイタリアでは、決勝でACミランを破ると実に51年ぶりに同タイトルを獲得するなど近年古豪復活の兆しを見せ始めている。
ボローニャにビッククラブに在籍してトップフォームを崩したり、調子を落とした選手が移籍してくるとなぜか復活を遂げるというジンクスがあることは有名な話。
近年、日本代表のDF冨安健洋が在籍したことでも注目を浴びたボローニャだが、そんなボローニャに移籍して見事に復活を果たした歴代レジェンド選手や、選手生命のピークを過ぎてから活躍を見せた選手にスポットを当ててみたい。

ボローニャにはあの中田英寿も在籍していたよ
歴代レジェンド選手①ロベルト・バッジョ MF 在籍期間1997~1998 イタリア代表

バッジョの能力値に関しては知名度もある選手であり注目度も高かった為、適正値に近いように思われる。
Embed from Getty Imagesボローニャへの移籍でキャリアを復活させた歴代レジェンド選手の1人目は、「悲劇の英雄」ロベルト・バッジョである。
プロサッカー選手として、彼ほど苦労を重ね、波乱に満ちたサッカー人生を送ったジョカトーレ(選手)は他に類を見ないであろう。
現役時代に一度も国外でプレーすることなく、イタリア国内でのプレーに終始したバッジョは、度重なる怪我と移籍騒動に巻き込まれながらも、常に中心選手として活躍し、数々のタイトル獲得に貢献してきた。
セリエAにおいて、フィオレンティーナ、ユベントス、ミラン、ボローニャ、インテル、ブレシアと、ビッグクラブからプロヴィンチア(地方のクラブ)までを渡り歩いた、
まさに「イタリアの至宝」と呼ぶべき選手である。
バッジョがボローニャに移籍したのは1997-98シーズンからだ。
その前年、ミランでプレーしていた彼は、監督交代などの影響もありベンチスタートを余儀なくされ、出場機会が極端に限定されていた。
ミランでの2シーズンは51試合出場12ゴールと、それまでの活躍とは裏腹に不振に陥った時期であった。
ミラン在籍時に30歳の誕生日を迎えたバッジョに対し、ボローニャに住む知人は
「ミランで問題を抱えているならボローニャに来い。ボローニャでなら絶対に生まれ変わることができる」と語ったという。
この言葉と、当時のガッゾーニ会長との合意は、すぐに実現した。
ボローニャ移籍後、バッジョは開幕戦でゴールを記録すると、かつて在籍したユヴェントスやミランからもゴールを奪う大活躍を見せた。
シーズンが終わってみれば、30試合出場22ゴール9アシストというキャリア最高成績を記録。
年間チケットの販売数も記録的な数字を叩き出した。
ボローニャは、サッカーよりもバスケットボールに人気が集中し「バスケットの都」とも言われる街であるが、
バッジョは当時
「ボローニャの街にサッカーの興味が戻ってきたんだ。誰かが嫉妬してしまうくらいに、たくさんの期待と愛情がぼくに集まった」
と語っている。
このボローニャでの活躍が認められ、彼はフランスワールドカップのメンバーに選出されることになった。
翌年にはジュゼッペ・シニョーリの加入も決まり、バッジョとのコンビも期待されたが、彼はインテルへ移籍する道を選ぶ。
当時のボローニャ指揮官であったウリヴィエーリ監督は、バッジョの獲得を望んでいなかったとも言われており、少なからず二人の間に確執があったことは確かであろう。
しかし、ウリヴィエーリ監督の意向にも関わらず、バッジョの後ろ盾となったのは、ボローニャの街の愛情とサポーターの熱烈な後押しであった。
その愛に支えられ、彼はキャリアハイのゴールをマークし、ワールドカップ行きの切符も手にして完全復活を遂げることができたと言える。
現代サッカーにおいて、バロンドール受賞者はUEFAチャンピオンズリーグでの優勝経験や上位進出が必須条件に近い。
しかし、1993年にバロンドールを受賞したバッジョは、CL優勝の経験がなく、セリエAでの実績が評価されての受賞であった。この事実は、当時のセリエAのレベルの高さを如実に物語っていると言えるだろう。
Embed from Getty Images個人タイトル
- バロンドール
- FIFA世界年間最優秀選手賞
- 英紙ワールドサッカー選出世界年間最優秀賞
- ゴールデンフット賞
クラブタイトル
- コッパイタリア
- セリエA
- UEFA杯(現ヨーロッパリーグ)
FIFAワールドカップ出場
- 1990年FIFAワールドカップイタリア大会(3位)
- 1994年FIFAワールドカップアメリカ大会(準優勝)
- 1998年FIFAワールドカップフランス大会(ベスト8)
歴代レジェンド選手②ジュゼッペ・シニョーリ FW 在籍期間1998~2004 イタリア代表


現役時代、左足1本で相手を翻弄していたテクニック87は低いと思える。数値は90を超えていてもいいのではないだろうか。
更にセリエAで3度の得点王に輝きボローニャでも3シーズン連続15ゴールをマークした実力を考慮すれば、シュート精度85ももう少し高めではないだろうか。
ボローニャに移籍後復活を遂げた歴代レジェンド選手2人目がジュゼッペ・シニョーリである。
1984-85シーズンにセリエBでプロデビューを飾り、20代半ばまで2部リーグでプレーを余儀なくされた苦労人でもあるシニョーリが頭角を現したのが、1989ー90シーズンから在籍したフォッジャ時代に遡る。
1991-92シーズンに当時セリエAに在籍していたフォッジャで11ゴールを挙げる活躍を見せ、翌1992-93シーズンにはラツィオに引き抜かれることになる。
開幕戦でいきなり2ゴールを挙げ、移籍初年度でもある1992-93シーズンにセリエA得点王に輝く。
さらに続く1993-94シーズンはケガの影響で24試合の出場にとどまってしまうが、なんと23ゴールを挙げて2年連続で得点王に輝いた。
しかし、シニョーリの真骨頂は1995-96シーズンにも得点王を獲得し、セリエA通算3度の得点王を獲得することになる。
その後サンプドリアに移籍することになるが、サンプドリアでは全く機能せず17試合出場3ゴールと3度の得点王に輝いた選手とは思えないほどの不振に陥ってしまう。
迎えた1998-99シーズンからボローニャに移籍したシニョーリはキャプテンマークを巻き、なんと3シーズン連続で15ゴールを挙げる活躍を見せ復活の狼煙を上げる。
ボローニャでは公式戦177試合に出場し84ゴールと、ほぼ2試合に1ゴールを決めるペースでゴールを量産、またイタリア代表としては28試合出場7ゴールの記録を残す。
シニョーリほどの実績ある選手でも代表通算28試合というプレータイムの少なさは、当時のアッズーリのFW陣には、ロベルト・バッジョをはじめアレッサンドロ・デルピエロやクリスチャン・ビエリ、更にはジャンフランコ・ゾラなど往年の名ストライカーが名を連ねていることに起因する。
この時代のセリエAのレベルの高さは現在のプレミアリーグに匹敵するか、それ以上といっても過言ではないだろう。
歴代レジェンド選手③中田英寿 MF 在籍期間2004 日本代表


ボローニャ時代の中田のプレーは全盛期と言っても良いくらいのパフォーマンスで、トップフォームに近いプレーを披露したように思われるが、この能力値は全体的に低すぎると感じる。
コナミのスタッフさんは恐らく別の選手の数値を誤って記載してしまったのではないだろうか。
ボローニャへの移籍がキャリア復活の転機となった歴代レジェンドの3人目は、日本の誇る中田英寿である。
2003-04シーズンの冬の移籍市場、パルマからレンタルでボローニャに加入した中田は、ペルージャ時代の恩師であるカルロ・マッツォーネ監督と再会を果たすことになる。
マッツォーネは、ペルージャ時代に中田の才能をいち早く見抜き、トップ下という自由なポジションを与えることで、そのポテンシャルを最大限に引き出した監督である。
ペルージャでマッツォーネに1年半指導を受けた中田は、その実力をいかんなく発揮し、イタリア国内外で人気銘柄となり、ビッグクラブから多数のオファーを受けた末にローマへの移籍を決めた。
しかし、ローマのトップ下には、当時絶対的な存在であった「バンディエラ」フランチェスコ・トッティが君臨していたため、中田はボランチでの出場か、トッティと交代での途中出場を余儀なくされた。
だが、迎えた2000-01シーズンには、途中出場ながら首位攻防戦であるユヴェントス戦で1ゴール1アシストの活躍を見せ、ローマの18シーズンぶりのスクデット獲得に大きく貢献している。
その後、移籍したパルマではチェーザレ・プランデッリ監督が就任すると、主に右ウイング(WG)での出場となり、右サイドに開いた位置でのプレーを要求され、中央でのプレーを制限されることになる。
本来トップ下を主戦場としていた中田は、不慣れなポジションでの出場によりプレースタイルを見失いかけていたが、タイミング良くシーズン途中の冬の移籍市場でボローニャへのレンタル移籍が実現する。
ボローニャでマッツォーネ監督が中田に与えたポジションは、トップ下よりはやや低く、ボランチよりはやや高い、セントラル・ミッドフィルダー(CMF)としての役割だった。
この適正なポジションを与えられた中田は、本来のプレースタイルを取り戻し、完全復活したと言っていい。
トリッキーなヒールキックやワンタッチパスで相手を翻弄しながら、力強いドリブルからのキラーパスも健在。さらに、ノンステップから放たれる左足一閃のシュート、そして逆サイドの味方選手の足元にピタリと落ちる大きなサイドチェンジは圧巻だった。
中でも、セリエA第20節ウディネーゼ戦で放たれたフリーキックは語り草である。
超低空の弾丸ライナーでゴールネットを揺らし、相手GKデ・サンクティスはボールスピードに反応できず尻もちをついてしまうほどのスーパーゴールを決めてみせた。
中田がボローニャでプレーした期間はわずか半年間だったが、すぐにチームに馴染み、周囲からの信頼も厚く、真に中田を中心としたチームになっていたと言っても過言ではない。
その背景には、中田のプレーを熟知し、適正を見抜いていた恩師マッツォーネ監督との再会が、彼のプレーに大きな影響を与えたことは確かであろう。
17試合に出場し2ゴールを記録し、ボローニャのセリエA残留に大きく貢献した中田は、シーズン終了と共に新天地フィオレンティーナに移籍することになる。
しかし、中田が純粋にサッカーを楽しんでいる姿を見ることができたのは、ボローニャ時代が最後であったと、筆者は感じずにはいられないのである。
歴代レジェンド選手④マルコ・ディバイオ FW 在籍期間は2008~2012 イタリア代表


ディバイオの特徴としては運動量やスピード、得点も量産していたことを考慮するとシュート力81やシュート精度75 も90くらいの数値でもいいはずだ。CFとしての能力値が全体的に低いので、適用にコナミのスタッフはつけてしまったのか?
Embed from Getty Imagesボローニャに移籍後復活を遂げた歴代レジェンド選手4人目がマルコ・ディバイオである。
ディバイオのキャリアのスタートは、SSラツィオでプロデビューを飾ることになるが、2シーズン在籍したのちにベローナへ移籍すると、更にその1年後にはバーリ移籍と下位クラブを渡り歩くことになる。
その後、当時セリエBのサレルニターナに2シーズン在籍しゴールを量産し頭角を現すことになる。
1999-00シーズンに当時大型補強を敢行していたパルマに移籍するが、選手層の厚いチームの中でコンスタントな出場機会を与えられ2001-02シーズンには20ゴールを叩き出す活躍を見せチームの上位進出に貢献する。
ディバイオのプレースタイルはスピードに優れ、精力的に前線を走りまわる汗かき役であり、ストライカーとしてゴールに対する貪欲な姿勢はディバイオの最大の魅力ではないだろうか。
2002-03シーズンにはユベントスへの移籍を果たし、スタメン定着とはならずも試合に出場すれば持ち味を発揮しチームの勝利に貢献する活躍を見せる。
2シーズン在籍したユベントスでは移籍初年度にリーグ優勝を経験したのち、2004-05シーズンには戦いの場を国外へと移すことになる。
スペインリーグのバレンシアに移籍したディバイオは、恩師でもあるラニエリ監督の下でプレーすることになるが、ラニエリ監督が解任の憂き目に遭うと徐々に出場機会を失う。
その後フランスリーグのモナコにレンタル移籍するが、ここでもスタメン奪取には至らずイタリア帰国を余儀なくされる。
イタリア国内に復帰したディバイオはセリエBのジェノアに1シーズン在籍し、ジェノアのセリエA昇格に貢献したのちに、同じく昇格組のボローニャ(2005~2008シーズンはセリエB)に加入することになる。
ボローニャ加入後のディバイオは、国外移籍後からの不調がウソのようにシーズン序盤からゴールを量産。
当時インテルに在籍していたFWズラタン・イブラヒモビッチと熾烈な得点王争いを演じ、結果的には得点ランキング2位となるが自身としては32歳にしてキャリアハイの24ゴールを記録した。
その後ボローニャには計4シーズン在籍することになるが、143試合出場65ゴールの記録を残す。
歴代レジェンド選手⑤ロドリゴ・パラシオ FW 在籍期間2017~2021 アルゼンチン代表

ボローニャ時代のパラシオの年齢を考えると高すぎず、低すぎずの適正な数値ではないだろうか。
Embed from Getty Imagesボローニャに移籍後復活を遂げた歴代レジェンド選手5人目がロドリゴ・パラシオである。
母国アルゼンチンでプロデビューを飾ったパラシオが注目を浴びたのが、2005-06シーズンから所属した名門ボカ・ジュニアーズ時代に遡る。
移籍後すぐにレギュラーポジションを奪取すると、南米No.1を決めるコパ・リベルタドーレス杯制覇にも大きく貢献することになる。
また優勝クラブに与えられるクラブワールドカップの出場権を獲得すると、同大会の決勝のミラン戦では敗れはしたがゴールを記録。
ビッグクラブからの獲得の噂が絶えなかったパラシオが選んだ移籍先は、過去に「キングカズ」こと三浦知良も在籍経験があるイタリアの古豪ジェノアに移籍。
ジェノアでは在籍3シーズンで35ゴールを記録すると、同クラブでの活躍が認められ2012-13シーズンにインテルに移籍し初年度から12ゴールを挙げると、翌年には17ゴールを叩き出し得点王争いでも4位に食い込む活躍を見せる。
しかし、選手層の厚いインテルでは2015-16シーズンを皮切りに徐々に出場機会を失いベンチを暖める日々が続き2016-17シーズンにインテルを退団することになる。
そして迎えた2017-18シーズンにボローニャに加入すると、通算127試合に出場し19ゴールを記録するが2021ー22シーズンのリーグ戦では39歳86日でハットトリックを記録。
1950年にシルビオ・ピルロが樹立した37歳41日のセリエA最年長ハットトリック記録を実に67年ぶりに更新した。
またフィオレンティーナでプレーしていたホアキン・サンチェスが、2019年に樹立した38歳140日の欧州5大リーグ最年長ハットトリック記録までを更新することになる。
ボローニャでプレーした史上2人目の日本人プレーヤー冨安健洋
2019ー20シーズンにベルギーリーグのシント=トロイデンWから移籍金12億でボローニャに加入。
ミハイロビッチ監督の元で2シーズンプレーした冨安は、センターバックと右サイドバックでスタメンに名を連ねDFの主軸として安定したプレーを披露する。
Embed from Getty ImagesセリエA初ゴールは2020-21シーズンのミラン戦で左足から放たれたミドルシュートがゴールネットを揺らし、シーズン終了後にはそのミランから正式オファーが届くがボローニャはこのオファーを拒否する。
その翌年の2021-22シーズンには、およそ25億円という移籍金でイングランドの名門アーセナルに引き抜かれることになるが、アーセナル加入後の冨安は度重なるケガの影響で出場機会を失い、4シーズン在籍したクラブを2025年7月に双方合意のもとで契約解除となっている。
2025年9月現在、アーセナルを退団した冨安の所属先はいまだに決まっていないが、ボローニャに復帰することも1つの選択肢として慣れ親しんだこのクラブで是非とも復活した姿を見てみたいものだ。
元イタリア代表のインモービレとベルナルデスキがボローニャに加入
そして2025-26シーズン開幕前に、元イタリア代表のチロ・インモービレとフェデリコ・ベルナルデスキがボローニャに加入したことでも話題を呼んでいる。
チロ・インモービレ 在籍期間 2025~
インモービレは主にラツィオで活躍し、7シーズン在籍したラツィオでは、キャプテンマークを巻きセリエA得点王に4度輝きヨーロッパリーグでも得点王を獲得するなどラツィオのレジェンド選手でもある。
またイタリア代表としても57試合出場17ゴールを記録し、2014年ワールドカップブラジル大会にも出場しているが、アッズーリは現在、北中米ワールドカップ予選で苦戦を強いられている。ボローニャで活躍したベテランFWの代表復帰に期待したい。
Embed from Getty Images- セリエA得点王 / 2013-14, 2017-18, 2019-20, 2021-22
- UEFAヨーロッパリーグ得点王 / 2017-18
- セリエA年間最優秀FW賞 / 2019-20
- ゴールデンシュー(ヨーロッパ全リーグ最多得点王)2019-20
フェデリコ・ベルナルデスキ 在籍期間 2025~
Embed from Getty Images今シーズン(2025-26)からボローニャに移籍したベルナルデスキはエースナンバー10を背負い、シーズン開幕に挑むことになる。
ベルナルデスキといえばユベントスでプレーした5シーズンが全盛期であったと言えるだろう。ユベントスではスタメン定着とはならずも貴重なバックアッパーとして、2017シーズンからセリエA3連覇に大きく貢献する。
ユベントスでプレーしたのちにMLSメジャーリーグサッカーのトロントFCで3シーズンに渡りプレーすることになるが、アッズーリが2026年北中米ワールドカップ出場を決めた際には、地の利を知り尽くしたベルナルデスキの存在は大きなアドバンテージとなるはずだ。
代表出場歴は10試合にとどまっているが、31歳という年齢を考えればまだまだ代表復帰の可能性も残されているはずだ。
ボローニャでこの2人がどれだけの活躍を見せゴールを量産するのか注意深く見守って行きながらも、中田や冨安に続くセリエAでの日本人の活躍と、古豪ボローニャというクラブで復活を遂げる選手を見たいものだ。
最後となるが、セリエAの古豪ボローニャで復活を遂げてきた選手はなぜかキャリアのピークを超えてからゴールを量産したり、セリエAの記録を更新したりと目覚ましい活躍を見せている。
その背景にはビッククラブでのプレー経験を得て、中堅クラブであるボローニャでは様々なプレッシャーから解放され本来のプレースタイルを取り戻すことが出来ているのではないだろうか。
更には伝統的に戦術重視で守備偏重と言われているセリエAのクラブの中でも、ボローニャは前線のプレーヤーにはある程度の自由を与えているクラブでもあると言えるだろう。


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