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【衝撃】2度と見られない?SSラツィオ黄金期メンバーがやばかった

コラムまとめ
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トムマージ

元サッカー経験者のヨーロッパサッカー好きライター。
サッカー経験大体7年くらい。頑張ってやってました。
現在は観戦専門ですが最近フットサルを始めました。
特にヨーロッパサッカーが好きで、中でもイタリアセリエAの大ファンで現地での観戦経験もあり。
好きなクラブ:ラツィオ、パルマ、インテルなど。
得意な執筆内容/移籍情報/クラブ黄金期メンバー/歴代ベストイレブン/選手紹介/代表戦も大好物。エッセイ風の記事にも挑戦してみたい。
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イタリアの首都に本拠地を置くラツィオの黄金時代

イタリアの首都ローマに本拠を置きASローマの永遠のライバルとして熱狂的なカルチョのファンを魅了しているクラブが1900年に創設されたラツィオである。

クラブ創設 1900年 / 本拠地 ローマ/ ホームスタジアム スタディオ・オリンピコ / 収容人数 72698 人

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プレミアリーグのチェルシーやリーグ・アンのパリ・サンジェルマンのように、所属選手に華があり、世界的に人気のあるクラブがある一方で、知る人ぞ知る魅力を放つのがイタリア・セリエAのラツィオだろう。

もしあなたがラツィオに惹かれるなら、漫画で例えるなら『チェンソーマン』よりも、その独特の世界観で一部の熱狂的なファンを持つ『ファイアパンチ』を選ぶタイプかもしれない。

ファイアパンチとはチェンソーマンの原作者藤本タツキの連載デビュー作でマイナーな漫画の1つだ。

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チェンソーマンよりもファイアパンチをあえて好きになる人はユベントスやミランよりもラツィオだと思うの。なんとなくだよ笑

話がすこし脱線したのでラツィオの紹介に戻るとしよう。

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、セリエAやUEFAスーパーカップなど数々のタイトルを獲得し、クラブ史上に残る黄金時代を築いたラツィオ。

近年はタイトル争いから遠のいており、SSラツィオが最後にスクデットを獲得したのは

2025年現在から25シーズン前の1999-2000シーズンにまで遡ることになる。

当時のラツィオにはどんな選手が在籍していたのか。スクデット獲得時のレジェンドメンバーを紹介していく。

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1999-2000シーズンの主なスターティングメンバー

GK ルカ・マルケジャーニ(イタリア)

DF  パブロ・ネグロ(イタリア代表)

   シニサ・ミハイロビッチ(旧ユーゴスラビア代表)

   アレッサンドロ・ネスタ(イタリア代表)

   ジュゼッペ・パンカロ(イタリア代表)

MF  セルジオ・コンセイソン(ポルトガル代表)

   ディエゴ・シメオネ(アルゼンチン代表)

   パベル・ネドベド(チェコ代表)

    ファン・セバスティアン・ベロン(アルゼンチン代表)

FW  アレン・ボクシッチ(クロアチア代表)

   マルセロ・サラス(チリ代表)

控え

FWロベルト・マンチーニ(イタリア代表)シモーネ・インザーギ(イタリア代表)                           ファブリツィオ・ラバネッリ(イタリア代表)ケネット・アンデション(スウェーデン代表) 

MFマティアス・アルメイダ(アルゼンチン代表)ルーカス・カストロマン(アルゼンチン代表)デヤン・スタンコビッチ(セルビア代表)

DFネストル・センシーニ(アルゼンチン代表) フェルナンド・コウト(ポルトガル代表)

以上に挙げた選手を見るだけでも錚々たるメンバーが名を連ねる。

その中でも特にチームの中核を担っていた選手を次の項で紹介していく。

また過去作のウイニングイレブンの数値についての感想も書いてみた。

今回はPS2ワールドサッカーウイニングイレブン5 ファイナルエヴォリューションの数値を参考にしている。

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DF シニサ・ミハイロビッチ(旧ユーゴスラビア代表)~フリーキックの名手~ ウイイレ能力値フリーキック精度90

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ウイイレの能力値についてはフリーキックの精度90となっており、ここだけずば抜けて高いのでミハイロビッチのイメージを表現していると思われ合っていると思う。

スピード65もかなり低い数値ではあるが実際のプレーをみてもあまり早くないという印象が強いので適正かと。

ミハイロビッチがイタリアの地に初上陸したのが1992-1993シーズンになる。

その時に入団したクラブは、なんとSSラツィオにとって永遠のライバルでもあるASローマだった。

イタリアの地での初ゴールはブレシア戦での直接フリーキックが記念すべきセリエAでの最初のゴールとなる。

ASローマには2シーズン在籍したのちにサンプドリアに移籍する事になる。

この時、ミハイロビッチにとって運命的な出会いを果たすことになる。

名将スベン・ゴラン・エリクソンとの出会いが今後のプレースタイルに大きな変化をもたらした。

それまでMFとして中盤の位置でプレーしていたが、エリクソン監督はミハイロビッチをセンターバックにコンバートしたのだ。

その後エリクソン監督がラツィオに移籍するとミハイロビッチも後を追う形でラツィオに移籍。

1998-1999シーズンにラツィオ移籍後は得意の「フリーキック」からゴールを量産する。

特にセリエA第13節のサンプドリア戦ではなんとフリーキックだけでハットトリックを達成するという偉業を成し遂げる。

ラツィオで6シーズンに渡りプレーしたミハイロビッチはディフェンダーでありながら通算33ゴールを挙げる。

現役時代の総得点数は代表戦も含めて109ゴールを記録。

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DF アレッサンドロ・ネスタ(イタリア代表)~若きキャプテン~ ウイイレ能力値ディフェンス91

ウイイレの能力値についてはスタミナ74やスピード71、メンタリティー65はもう少し高めでもいいかもしれない。

ラツィオのユースアカデミー入団後17歳でトップチームデビューを果たし主力として活躍。20代前半でラツィオのキャプテンマークを巻く。

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ネスタのプレースタイルはDFでありながらフィジカルに頼らない頭脳を使う守備スタイルが特徴だ。

冷静沈着な対人プレーに加えて優れた洞察力で間合いを詰める。

更に空中戦も含めて対人プレーにも負けない。

正にディフェンダーのオールラウンダーといえるだろう。

相手FW陣からすれば187センチの体躯と頭脳的な守備力を誇るネスタの存在は脅威だった事に違いない。

「イタリアの防波堤」の異名を誇るネスタは間違いなく、当時世界最高峰のDFに数えられる選手だ。

ラツィオで9シーズン過ごしたあとはミランでも10シーズンプレーし、チームの中心として常にタイトル争いに貢献している。

国際Aマッチもイタリア代表として77試合に出場し、W杯も3大会連続出場し2006年にドイツで開催された大会では見事に同国を優勝に導いている。

MF ディエゴ・シメオネ(アルゼンチン代表)~愛称はチョロ~ ウイイレ能力値ヘディング精度88

ウイイレの能力値についてはディフェンス68とメンタリティー66はもう少し高めでもいいのでは。

1987年母国アルゼンチンでプロデビューを飾るとその3年後にはヨーロッパへと戦いの場を移す。

イタリアのプロビンチアのクラブ、ACピサ1909がシメオネにとってのヨーロッパでのキャリアのスタートとなる。

その後スペインに渡り、1997-1998シーズンに再びイタリアの地に主戦場を移したシメオネはインテルに移籍。

インテルで2年プレーしたのちにラツィオへ加入した。

当時のチームメートの中には同胞のベロンをはじめアルメイダ、センシーニ、クレスポといった代表でもお馴染みの選手が名を連ねている。

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ラツィオに加入した1999ー2000シーズン、ユベントスとの壮絶な首位争いを展開する。

最終節を前に2ポイント差を付けられていたラツィオだったがドラマチックな展開を迎える事になる。

ユベントスが最終節を落とし、ラツィオが勝利したことによって逆転スクデット。

自身としても初のセリエAのタイトルを獲得した。

現役時代数々のタイトルを獲得し、アルゼンチン代表としても国際Aマッチ104試合に出場。

W杯にも3大会連続で選出されたシメオネだが、彼の真骨頂はその後の監督業にあるのではないか。

2006年に現役を引退したのち母国アルゼンチンのクラブで監督キャリアをスタートし、2011シーズンから古巣スペインのアトレチコ・マドリードの指揮官に就任。

以来、現在に至るまで長期政権を築きあげ、スペインの2大巨頭と言われているバルセロナとレアルマドリードに次ぐ第3の勢力として熾烈な優勝争いを演じている。

MF ファン・セバスティアン・ベロン(アルゼンチン代表)~小さな魔法使い~ ウイイレ能力値ロングパス精度90

ウイイレの能力値についてはロングパス精度90は実際に精度が高い選手なので適正だと思われる。

ベロンのプロデビューは1993シーズンに母国アルゼンチンのクラブでプロデビューを飾ると、その3年後の1996ー1997シーズンにイタリアへと渡る。

サンプドリア、パルマでプレーしたのちにラツィオに移籍する事になる。

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特徴的なベロンの風貌はとても印象深い。

トレードマークのスキンヘッドに加えピアスにタトゥー、ソックスを下げてプレーしている姿はピッチ上どこにいても視線に飛び込んで来る。

“小さな魔法使い”の異名を取り、華麗なテクニックや正確無比なロングパス、ミドルシュートも兼ね備えていた。

プレースタイルもさることながら特筆すべきはとても頭の良い選手でもあり、守備も厭わずチームに尽くすというスタイルは多くのファンの心をつかんだ。

ヨーロッパでのプレー経験が長いベロンだがラツィオ在籍時がキャリアの全盛期といっても過言ではないだろう。

ラツィオにとっての26年ぶり2度目のスクデット獲得や数々のタイトルをもたらしたのもこの時期に集中している。

ラツィオ在籍時にベロンが獲得したタイトル

  • UEFAスーパーカップ
  • セリエA
  • コッパイタリア
  • スーペルコッパ・イタリアーナ

MF マティアス・アルメイダ(アルゼンチン代表)~7つの肺を持つ男~ ウイイレ能力値スタミナ92

ウイイレの能力値についてアルメイダに関しては文句はなく、全体的に評価された適正な数値だと思う。

1991-1992シーズンに母国の名門リーベルプレートでプロデビューを飾り、1996-1997シーズンにヨーロッパへと戦いの場を移すと2年目のシーズンにラツィオへ移籍。

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身長173センチと小柄だが無尽蔵のスタミナでピッチ上を縦横無尽に走り抜ける運動量を持ち合わせている。

危険の芽を摘む危機察知能力とボールダッシュの為にはハードワークを厭わない。

移籍初年度にはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)のタイトル獲得にも大きく貢献。

2年目にもカップ戦のタイトル獲得やセリエAでも2位フィニッシュに貢献。

当時大型補強を敢行していたラツィオは、翌年度には同胞のベロンやシメオネの加入を実現させ黄金時代を迎える事になる。

MF パベル・ネドベド(チェコ代表)~チェコの大砲~ ウイイレ能力値スタミナ84

ウイイレの能力値についてはオフェンス73とボディバランス71は数値としては低いと感じる。もう少し高めでもいいのではないか。

1990ー1991シーズンにプロデビューを飾ったネドベドは現役時代にプレーしたクラブは母国チェコのクラブとイタリアのクラブでの2か国だ。

ネドベドがイタリアに渡ったのは96年のユーロでの活躍が認められた1996-1997シーズンに当時、大型補強を敢行していたラツィオに鳴り物入りで入団。

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ネドベドのプレースタイルといえばやはり、卓越した運動量で中盤を縦横無尽に走り抜けるスタミナではないだろうか。

そのスタミナを生かしたハードワークと安定したプレーを常に披露していたネドベドは正に真のプロフェッショナルであり努力の人と呼ぶに相応しい。

ネドベドのプレーを象徴するようなエピソードがある。

少年時代には家から60マイル(およそ96km)離れたサッカースクールに通っていたという。

当時の練習時間は毎日12時間を超えていたとも。趣味を聞かれると「練習」と言うくらいの少年だった。

2001ー2002シーズン、ラツィオはオーナーの大手食品会社の業績悪化の影響で、資金難に陥り高額な年俸を支払っていた主力選手の放出を余儀なくされ、ネドベドはユベントスへと戦いの場を移した。

ラツィオでの躍進があったからこそユベントスでもスクデットやバロンドール(ヨーロッパ最優秀賞選手)など輝かしいキャリアを刻むことが出来たのは言うまでもない。

FW セルジオ・コンセイソン (ポルトガル代表) ウイイレ能力値スタミナ80

ウイイレの能力値についてはセルジオ・コンセイソンも全体的に適正な評価された数値でいいと思う。

1993-1994シーズンに母国ポルトガルの2部リーグでプロデビューを飾ると、1996-1997シーズンに名門FCポルトに移籍しトップカテゴリーでのデビューを果たす。

その後の活躍が認められ1998-1999シーズンにラツィオに引き抜かれることになる。

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移籍後すぐに右WGとしてスタメンの座を射止めると、セリエAでは初年度から33試合に出場し5ゴールを記録するなど順応性の高さを見せつける。

また、そのシーズンにはスーペルコッパやUEFAカップウィナーズカップなどのタイトル獲得に貢献。

セルジオ・コンセイソンの特徴と言えば豊富な運動量とスピードを兼ね備え、右サイドからカットインしてゴールを挙げるシーンを何度も演出した。

ポルトガル代表としても56試合12ゴールを記録している。

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また息子のフランシスコ・コンセイソンもポルトガル代表としてプレーしていながら、現在はラツィオと同じセリエAのユベントスに在籍している。

息子はお父さんと同じポルトでプレーしているけど、ラツィオに入団しなかったんだね

FW マルセロ・サラス(チリ代表)~チリ代表のZaSaコンビ~ ウイイレ能力値ジャンプ力89 レスポンス89

ウイイレの能力値についてはあえて言うとスピード71が低いと感じるのでもう少し高くてもいいかと思う。

1994年に母国チリの名門クラブでプロデビューを飾ると、いきなり25試合に出場し27ゴールを叩き出す活躍を見せる。

同年チリ代表としてアルゼンチン戦でデビューを飾り代表初ゴールを記録。

1998-1999シーズンにラツィオに移籍を果たすと公式戦42試合で24ゴールを記録。

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身長173センチと小柄でありながらスピードもあり、卓越したボールコントロールや精度の高い左足のシュートは相手DFに対し脅威を与えていたことは間違いない。

当時サラスが注目されていたのは、インテルに所属していたイバン・サモラーノと2トップを形成していたチリ代表での「サ・サコンビ」だったであろう。

1998年フランスW杯では「サ・サコンビ」の活躍により同国を4大会ぶりのW杯出場に導いている。

最後に

古豪ラツィオの歴史を振り返ると、この1999-2000シーズンはクラブ史上に残る黄金時代を過ごしたことが分かっていただけただろうか。

このシーズンを最後に現在までスクデットからは遠ざかっている。

その背景にはセリエAに、イタリア国内に蔓延した不景気の波の余波を受けたことは間違いない。

オーナー企業の業績悪化により当時のセリエAのクラブ経営は火の車となり、主力選手の放出を余儀なくされイタリアサッカー界は低迷期を迎えることになる。

しかしそこを乗り越えてきたクラブ経営陣はチームを存続させ、着実に一歩ずつではあるが復権の道を歩み続けている。

今後のラツィオ経営陣の手腕に期待すると共に、近い将来にスクデット奪還の日が訪れることを願いたい。

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