キムボギョン、セレッソ大阪を退団して以降は試練の旅へ
2010年1月に在籍していた韓国の大学を中退してセレッソ大阪に加入するもチームの外国人枠が埋まっていたためすぐにJ2大分トリニータに期限付き移籍する。
トリニータでは27試合で8得点の活躍をみせ、2010年南アフリカワールドカップの韓国代表メンバーにも選出された。
そして翌年の2011年にようやくセレッソ大阪に復帰。セレッソではチームの中心選手として活躍、その後ロンドンオリンピック代表、韓国代表にもコンスタントに呼ばれ続ける。
2012年にチャンピオンシップ(プレミアリーグ2部)のウェールズにあるカーディフ・シティFCに移籍した。1部昇格に貢献する活躍をみせるもチームは1年で降格してしまう。
今年1月に元日本代表宮市亮が2012-2013シーズンに所属していたチャンピオンシップのヴィガンに加入。しかし18試合に出場して2ゴールを決めるなど活躍をみせたが、チームは成績不振で低迷。
シーズン終了後ヴィガンは3部降格が決まり、キムボギョンは人員整理のため放出となり今夏契約解除となった。
そして今夏にJ1の松本山雅に移籍が決定。
加入したチームを降格させてきた男はJ1の松本山雅を残留させることが果たしてできるだろうか。
PSVの監督フィリップ・コクーとはどんな選手?
キムボギョンはコクーに認められずテストに不合格
今夏にキムボギョンがテストを受けたPSVの監督はかつてバルセロナなどで活躍した元オランダ代表のフィリップ・コクーだ。
キムボギョンはコクーに認められることはできず、テストは不合格となっている。
フィリップ・コクーの経歴
フィリップ・コクーは1988年にAZアルクマールでデビュー。
かつて元日本代表のハーフナー・マイクが所属していたフィテッセに1990年に移籍。
5年間プレーした後、1995年にPSVへと移籍した後は、元オランダ代表ヤーブ・スタムや元ブラジル代表のロナウドとともにプレーし、1996-97シーズンにはエールディヴィジ優勝を経験している。
バルセロナへ移籍
そして1998年にスペインの名門バルセロナに移籍。ちなみに当時の監督は現在マンチェスターユナイテッドを率いるルイス・ファンハールである。
移籍した最初のシーズンにコクーはリーガエスパニョーラ優勝を果たし、バルセロナは2連覇を達成。
またこの頃のバルセロナはデブール兄弟、クライフェルト、ライツィハー、オーフェルマルス、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストなど数多くのオランダ人選手が在籍していたため、
オランイェ・バルセロナやアヤックス・バルセロナと呼ばれた。
バルセロナでは2004年までプレーし、同年古巣のPSVに復帰する。
PSVでは元韓国代表朴智星、元オランダ代表マルク・ファン・ボメルらと共に中盤のトライアングルを形成。2004-2005、2005-2006シーズンにはエールディヴィジ優勝を果たし、2連覇を達成した。
コクーはポジションがMFではあるが、CBもこなすことができるユーティリティープレーヤーである。
メタモルフォーゼ(変態)の異名を持つほど、多彩にプレースタイルを変化させることができる選手だった。
PSV監督に就任し2014-2015シーズンには7季ぶりリーグ制覇
2008年にアラブ首長国連邦のアル・ジャジーラで現役引退し、その後は監督に転身。
2013年にPSVの監督に就任すると2014-2015シーズンには4年間アヤックスに優勝をさらわれていたエールディヴィジで見事優勝を果たした。
2015-2016の今シーズンはUFFAチャンピオンズリーグ(CL)の出場も決まっている。
まとめ
近年のフットボールは選手が1つのポジションだけにこだわることを良しとせず、複数のポジションをこなせる柔軟性が必要とされている。
そんな現代のサッカーでもコクーはどのリーグでもプレーできるだろうと思う。もしかしたら彼のプレースタイルは今の時代の先駆けだったのかもしれない。
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