2003年発売のウイイレ7ブラジル代表ロナウド他の能力値が世界最強だった件

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2002年日韓ワールドカップを優勝した最強のブラジルメンバー

2002年初の共同開催となった日韓ワールドカップ。

日本国内でもその盛り上がりはすさまじく、

誰もがサッカーの話をしてした時代である。

中でもブラジル代表が優勝した大会でもあり、

この大会以降、南米勢は優勝しておらず

そういった意味では覚えている方も多いのではないだろうか。

当時はロナウド、リバウド、ロナウジーニョが前線を組み

3Rと呼ばれ、世界最強の攻撃力を誇っていた。

ケガで悩まされていたロナウドもこの大会はキレキレの動き。

頂点を極めるのに十分な活躍だったと思う。

そんな世界最強の能力値のブラジル代表が収録されている

日韓ワールドカップ後の2003年に発売された

ウイイレ7。

それが家にあったので今回はその高すぎる能力値を紹介していきたい。

 

ロナウド 所属レアル・マドリー

2002年のワールドカップの活躍が見事に反映されている選手の1人ですね。

インテル時代にひざをやってしまい、

爆発的なスピードは期待できなかったロナウドでしたが

気づけば大会8ゴールをマーク。

まさに化け物ストライカーだったとおもいます。

ボールと同じ速度で走るのが彼のピークなので

ケガをして90以上の数値は納得かもしれません。

数値以上の活躍をみせたロナウドはワールドカップ後に

レアル・マドリーへと移籍を果たしています。

 

リバウド 所属ACミラン

日韓大会ではロナウドの活躍により影が薄い印象でしたが、

要所要所で活躍していた

セレソンの10番をつけていた選手です。

日韓ワールドカップでは5ゴール決めており、

大会の優勝に大きく貢献しています。

この頃はちょうどベテランになりつつあった時期で

数値上ではロナウドよりもパスの能力値が若干高く設定されています。

 

アモローゾ 所属ドルトムント

セリエA22ゴールで得点王を獲得。

これはインテルに所属していたロナウドの記録ではありません。

ウディネーゼで98-99シーズンに得点王に輝いたアモローゾの記録です。

当時世界最強だったセリエAで得点王になるのはすごく大変なことでしたが

アモローゾはやってのけました。

ブラジル代表のワールドカップメンバーには残念ながら落選してしまいました。

理由としては当時のスコラーリ監督は

所属のドルトムントがいるブンデスリーガのレベルが低いとみていたということです。

ワールドカップの優勝メンバーにはなれせんでしたが

ドルトムントの移籍初年2001-02シーズンで優勝し、自身も18ゴールをあげ得点王に輝きました。

ウイイレ7で彼がいるのは代表に復帰したからでしょうか。

 

アドリアーノ 所属パルマ

18歳でブラジル代表に呼ばれた神童アドリアーノ。

彼は世界最強セリエAのパルマにこのときは所属していました。

ウイイレ7の発売の2003年はまだパルマであったため、

ロナウドに比べれば若干低めではあるものの

オフェンス、シュート力が90と非常に高い数値を誇っています。

この頃20代前半だったはずなので、マスターリーグで獲得したらとんでもない数値になるでしょうね。

パルマは現在2部のセリエBですが

2003年頃は今よりもずっと強く、あの中田英寿も同時期に在籍し、

中田からのパスでアドリアーノが得点というのもあったといいます。

2004年かつて所属していたインテルがアドリアーノを買い取ると

そこから一気に爆発。

彼をいつしか皇帝と呼ぶようになります。

2004年に行われたコパ・アメリカ南米選手権では

7ゴールをあげ得点王と大会MVP

2005年のコンフェデレーションズカップでは5ゴールをあげ得点王と

一気にブラジル代表のエースストライカーに登りつめます。

しかし2006年は愛する父親を2004年に亡くした悲しみが癒えず、

不調をきたすことに。

ゴールから遠ざかった皇帝はドイツワールドカップで皇帝にはなれませんでした。

このときのアドリアーノの能力は第2のロナウドという期待もあったのかなと今では思いますね。

きっと父親の死がなければアドリアーノは

ロナウドと同等の選手になれた可能性があると思います。

 

ロベルト・カルロス レアル・マドリー所属

もはや説明不要の左SBですね。

レジェンド枠で現在稼働中のefootballでも使っているプレーヤーが多い

人気の選手です。

強烈なフリーキックはもはや彼の代名詞。

シュート力が99とカンストしていることからもいかにすごかったかがわかります。

1997年のフランスと対戦したときに放ったあのエグい軌道のフリーキックはもはや

伝説として語り継がれています。

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