天才のプレーは一人の男の人生を変えた?【僕とロナウジーニョ】さらば最高のファンタジスタ

サッカーコラム
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中田英寿や中村俊輔よりも知名度が低かったロナウジーニョ。レアルとのクラシコのプレーをみて一瞬で虜に

史上最高にして最後のファンタジスタ

ついに、この日が来てしまった。

ブラジルが生んだ史上最高のファンタジスタ、ロナウジーニョが代理人であり、

J1コンサドーレ札幌でのプレー経験も持つ兄のアシスを通して正式に現役引退を発表した。

ロニーの本気のプレーを生で見ることができなかった。

これは自分自身の人生の後悔として僕に残ることになりそうだ。

それくらい、僕が受けた影響は大きい。

 

野球少年はその朝、一瞬で落とされた

そもそも、僕は小学生のころ野球少年だった。

あれはおそらく朝のニュースで前日のプロ野球のハイライトを見ようとしていたときだ。

たまたま流れてきたのは、レアル・マドリー対バルセロナの速報だった。

当時の僕の知識は、「レアルは強い」「ブラジルは世界最強」ってことくらい。

日本人選手は、中村俊輔と中田英寿くらいしか知らなかった。

しかし、その映像は赤と青のユニフォームをまとって、

パーマ頭を結び、出っ歯で笑顔のブラジル人が1人でマドリーを崩壊させていくものだった。

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サンティアゴ・ベルナベウは口笛を吹くのもやめ、

その選手に対してスタンディングオベーションを送っていた。

その意味を理解したのはもっともっと後のことだったが、

あのクラシコの映像1つでそれまでサッカーに興味なかった1人の少年はサッカーのいや、

ロナウジーニョの魅力に取り付かれた。

あの朝、僕はロニーに恋をしたといってもよい。

その後、少しずつサッカーを見るようになっていったが、

見れば見るほど彼が化け物であり、

またあの日のパフォーマンスがその中でも更に凄まじいものだったと理解した。

 

 

グアルディオラに戦力外通告を受けACミランに去るも天才のDNAは同じく天才のメッシに受け継がれた

栄光とともに終わりは始まっていた

しかし、少年がサッカーを理解し始めていたころ、

初恋の人はバルセロナの街に栄光をもたらしたアイドルから癌細胞へと転落してしまっていた。

負傷続きになっただけでなく、のちに燃え尽き症候群だったのではといわれる

スランプに陥り朝までパーティー、全体練習は休み、クラブハウスに現れても、

メンバーに遭わないようにするかの様に室内練習場などに籠もっていたそうだ。

それでも、試合に出れば違いは生んでいた。

彼のラ・リーガ最後のゴールはビセンテ・カルデロンでアトレティコ・マドリー相手に決めたバイシクルだった。

ただ、チームは無冠に終わりフランク・ライカールトはシーズン終了後に退任。

そして、新監督に就任したジョゼップ・グアルディオラは会見でロナウジーニョを戦力外の1人として名指しした。

バルセロナから追われるようにイタリア・ミラノに去っていった。

あまりに寂しずぎる最期。僕にはそう記憶された。

バルセロナは彼を忘れない

例え、別れが良くないものでもクレたちの記憶にロニーは確かに残っている。

銀河系軍団として大金で補強を続け栄光を掴んでいたマドリーを

横目に優勝争いに加わることすらできないシーズンなどもあった2000年代初頭のバルサ。

そこに、笑顔と勝利をもたらしたロナウジーニョ。

今でもカンプ・ノウにはロニーのユニフォームを着た人が多くいる。

そして、ロニーは自身の後継者もしっかり残して行った。それは他ならぬメッシだ。

彼のトップチーム初ゴールをアシストしたのは他ならぬロニーであり、

18歳でトップチームに昇格したメッシのことを誰よりも可愛がっていた。

メッシは、instagramで

「君のそばで多くのことを学んだ。

トップチームに昇格したとき、

君がいろいろなことをしてくれたおかげですべてが簡単だった。

本当にありがとう。

フットボールは君の笑顔を永遠に忘れないだろう。最高だったよ、ロニー」

と記した。

ありがとう、ロニー。サッカーの楽しさを教えてくれて。

そしてたくさんのスペクタクルを与えてくれて。

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